京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧

秋の奥州路 立ち去り難く名残り惜しく候・・・

以下「三階の滝」 いつまでも立ち去り難い「不帰の滝」に別れを告げ、さらに山を下ってゆくと道路の傍らに蔵王不動尊の像が 立っており、車を停めて参拝する。蔵王不動尊の由来等の詳細は不詳だが境内に隣接して不動滝の滝見台が あることから、不動滝と関係…

蔵王へ その5

雄大な大自然の眺めに堪能して帰途につく途中、展望台に立ち寄り「不帰の滝(かえらずのたき)」を遠望する。 御釜から流れ出た水が赤褐色の岩肌を伝わり落ち込む名瀑という。落差97.5m、巾14mの滝であるが、つい先 ほどまで見惚れていた御釜の湖水が悠久…

蔵王へ その4

刈田岳山頂(標高1,758m)にある刈田峰神社(かったみねじんじゃ)。奥羽山脈・蔵王連峰の宮城県側、刈田岳 東麓の遠刈田温泉にある刈田嶺神社を当社の「里宮」といい、山頂の同名社を「奥宮」という。御神体は夏季に は山頂の「奥宮」に、冬季には麓の「里…

蔵王へ その3

雄大な大自然のパノラマを左右に見ながらさらに車を走らせると、遠刈田温泉に向かう道路へと右折する。「蔵 王ハイライン」という有料道路である。この道路は遠刈田温泉から刈田岳に向かう道路であり、次第に荒々しい 山肌が目に飛び込んできた。蔵王連峰全…

蔵王へ その2

青根温泉をあとにして、蔵王連峰を東西に横断し宮城県と山形県をつなぐ山岳道路である「蔵王エコーライン」を 走ると次第に高度が高くなり蔵王連山の雄大な視界が開けてきた。 蔵王連峰は、東北地方の中央を南北に連なる奥羽山脈の中にあって、宮城県と山形…

蔵王へ その1

わたしどもの「秋の奥州路をゆく」旅行もいよいよ終わりに近づいてきた。仙台市内観光で杜の都の美しさに堪 能した翌日、奥州の雄大な大自然に触れるべく蔵王に向かった。ゆく途中青根温泉という温泉で小休止した。 青根温泉は開湯は1528年である。アオヌキ…

杜の都の夕暮れ風景

定禅寺通りのケヤキ並木の夕暮れ、杜の都のたたずまいが漂う・・・

仙台城(青葉城)跡その2

護国神社の静かなたたずまい。西に傾いた夕陽に護国神社の鳥居が石垣に影を落とす・・・

仙台城(青葉城)跡その1

瑞鳳殿から再び「るーぷる仙台」のバスに乗って次に向かったのは仙台城跡である。 仙台城は現在の仙台市青葉区(陸奥国宮城郡)の青葉山にあった日本の城(平山城)である。雅称は青葉城。 「五城楼」との別名もある。2003年(平成15年)8月27日、国の史跡に…

瑞鳳殿その4

伊達家の歴代藩主の若くして亡くなった子供たちを埋葬された墓所。瑞鳳寺は瑞鳳殿の傍にある臨済宗妙心寺 派の仏教寺院。山号は正宗山。開山は清岳、開基は伊達忠宗、本尊は平泉の毛越寺より遷した釈迦三尊像。 江戸時代初期の寛永14年(1637年)、仙台藩2代…

瑞鳳殿その3

瑞鳳殿の地域内にある戊辰戦争の忠魂碑(奥羽及び北越諸藩の計30余藩による「奥羽列藩同盟」の結成の中 心的役割を果たし、旧幕府軍側として戦った仙台藩の殉難者1260名の忠魂。伊達家14代当主伊達宗基と旧仙 台藩士が出資して明治10年に建立された)と第二…

瑞鳳殿その2

伊達政宗の像が鎮座する瑞鳳殿。豪華で煌びやかな建物の装飾は日光の東照宮陽明門を想起させる。

瑞鳳殿その1

昼食後バス通りで「るーぷる仙台」という仙台市内中心部の観光スポットを循環するレトロ調なバスに乗り瑞鳳 殿に向かった。一日乗車券を利用すると乗り降り自由なバスである。車窓に広がる市内の美しい風景を見なが ら15分ほどで瑞鳳殿のバス停に到着。 瑞鳳…

仙台市駅前の賑わい

荒浜地区の光景に暗い気持ちを抱きながら一旦娘の家に戻って車を捨て、近くの地下鉄の駅から仙台駅に向 かった。仙台駅前はさすがに東北最大の都市としての威容を誇り、杜の都と云われるように街路樹の緑に覆わ れていた。駅前近くの店で仙台名物の牛タンを…

仙台市若林区荒浜地区その3

震災時の写真パネルと仙台市立荒浜小学校の全景…この日荒浜小学校は休館日のため残念ながら内部見学 はできなかった。説明版を読んでいると大自然の猛威に戦慄を覚える。

仙台市若林区荒浜地区その2

穏やかな荒浜の海に手を合わせる・・・

仙台市若林区荒浜地区その1

前日鳴子温泉から鳴子峡と東北の秋を満喫して、娘の家に泊まったわたしどもは翌日は娘のご亭主が仕事が あるため、娘の運転で仙台市を案内してもらうこととなった。 まず最初に訪れたのは2011年3月11日東北を襲った東日本大震災の災害地の一つである仙台市若…

伊豆沼の渡り鳥

鳴子峡からの帰途伊豆沼に立ち寄った。 伊豆沼は、宮城県の登米市及び栗原市にまたがる沼である。面積369ヘクタール(水面面積289ヘクタール)、湖 容積約279万立方メートル、平均水深0.76メートル、最大水深1.6メートルである。古くは大沼とも呼ばれた。 伊…

鳴子峡その2

渓谷に架かるアーチ型の橋梁の眺めが美しく、谷底からの眺めも圧倒的な自然の造形に心打たれる。 鉄橋を渡ってゆく列車の光景は「今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと思う間も無くトンネルの闇を通って広野 原」の鉄道唱歌「汽車」が思い出される・・・

鳴子峡その1

鳴子温泉をあとにしてわたしどもは鳴子峡に向かった。鳴子峡は宮城県大崎市(旧鳴子町)にある峡谷である。 花渕山の南山麓を荒雄川(江合川の別称。北上川水系)の支流、大谷川が侵食して形成されたもの。落差80か ら100メートルあまりの断崖が、長さ4から6…

常寂光寺秋の彩りその4

鐘楼は寛永18年(1642年)建立。梵鐘は第二次世界大戦中の金属供出により失われたため、昭和48年に新た に鋳造された。冬の小倉山の東側は陽が沈むのが早い。秋の日は釣瓶落としというが見ているうちに辺りは暗く なり、帰途につくべく嵐電嵐山駅に向かう頃…

鳴子温泉その3

鳴子温泉駅近くの土産店でこけし製作の実演を見せてもらった。鮮やかな技術で木から削り出されてこけしが 誕生してゆく・・・伝統の技である。

常寂光寺秋の彩りその3

本堂は 安土桃山時代の大名小早川秀秋の助力により、伏見城の客殿を慶長年間に移築された。本堂を過ぎて 少し坂道を上ってゆくと紅葉の樹間から美しいシルエットが見えてきた。 国の重要文化財である多宝塔である。 元和6年(1620年)8月建立された。高さ12m…

常寂光寺秋の彩りその2

紅葉の艶やかさと竹林の静寂さ・・・

鳴子温泉その2

翌朝旅館を後にして温泉町を散策。仙台から鳴子温泉を経て山形県の新庄へ向かう陸羽東線(愛称奥の細道 ゆけむりライン)の鳴子温泉駅の近くにある、温泉の源泉の横を進むと鳴子温泉神社の境内に続いている。鳴 子温泉のはじまりは1000年以上前。承和2年(83…

鳴子温泉その1

その夜わたしどもは鳴子温泉の旅館に泊まった。旅館で旅装を解いて夕食までの時間、娘夫婦と四人で温泉町 をそぞろ歩きをした。ウイークデーの夜でもあり、町の中は閑散としていた。 鳴子温泉は、宮城県(旧国陸奥国、明治以降は陸前国)大崎市鳴子温泉にあ…

常寂光寺秋の彩りその1

落柿舎を過ぎて常寂光寺に向かう。藁葺きの仁王門の前に近づくと俄かに人波が増えた。仁王門から続く石 段の途中に大勢の人々が仁王門を見下ろして、或る者はカメラを向け、或る者は感嘆の声を挙げていた。 何事かと思いながら石段を登り、その場所に立って…

落柿舎の秋

嵯峨落柿舎の秋・・・ 落柿舎は嵯峨野にある草庵である。松尾芭蕉の弟子・向井去来の別荘として使用されていた場所であり、その 名の由来は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちたことによる。芭蕉も3度訪れ滞在をし、『嵯峨日記』を著し た場所としても知…

高舘義経堂

高舘義経堂(たかだちぎけいどう)は毛越寺から西に20分ばかり車で行った北上川を見下ろす高舘と呼ばれる 高台にある。判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれる。宝暦年間(1751~1763年)の作とされる甲冑姿 の義経像が本尊として祀られている。 高舘…

天台宗別格本山毛越寺その5

まだ本格的な紅葉とはなっていないが、あと二週間もすれば真赤に燃えるような紅葉が大泉が池に鮮やかな影 を落とすに違いない・・