高台にある。判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれる。宝暦年間(1751~1763年)の作とされる甲冑姿
の義経像が本尊として祀られている。
られ、遺体だけがこの地に埋められて、そこに小さな祠が建てられた 。
現在の堂は1808年に再建されたもの。当時の高館は現在地より東寄りと推測されているが、長い年月の間に北
終焉の地とされて多くの文人墨 客が訪れるようになった。
の入り口から階段を20段ほど上ると、高台から眺望が開ける。眼下には北上川が流れ、川向こうには秀峰・束稲
山(たばしねやま、別名・東山)、平泉随 一といわれる美しい景色が広がる。
文治2年(1186年)、平泉を訪れた西行は以下の作を残している。
「ききもせず たばしね山の桜花 吉野のほかにかかるべしとは」高台右手には松尾芭蕉の「夏草句碑」がある。
まれている。
三代の栄耀一睡の中にして大門の跡は一里こなたにあり
秀衡が跡は田野になりて金鶏山のみ形を残す
先ず高館に上れば北上川南部より流るる大河なり
衣川は和泉が城をめぐりて高館の下にて大河に落ち入る
泰衡等が旧跡は衣ヶ関を隔てて南部口を差し固め夷を防ぐと見えたり
さても義臣すぐってこの城にこもり巧名一時の叢となる
「国破れて山河あり 城春にして草青みたり」と笠うち敷きて時の移るまで涙を落とし侍りぬ
「夏草や兵どもが夢のあと」