京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

高舘義経堂

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高舘義経堂(たかだちぎけいどう)は毛越寺から西に20分ばかり車で行った北上川を見下ろす高舘と呼ばれる

高台にある。判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれる。宝暦年間(1751~1763年)の作とされる甲冑姿

義経像が本尊として祀られている。

高舘義経堂は源頼朝に追われ、藤原秀衡を頼って平泉に逃れた義経が、文治5年(1189年)、最期を遂げ た居

館のあった場所とされている。 義経藤原氏4代・泰衡に襲われ、妻子とともに自害した。義経の首は鎌倉へ送

られ、遺体だけがこの地に埋められて、そこに小さな祠が建てられた 。

祠は年月とともに風化したので、天和3年(1683年)、仙台藩主第4代・伊達綱村が新たに義経堂を建立した。

現在の堂は1808年に再建されたもの。当時の高館は現在地より東寄りと推測されているが、長い年月の間に北

上川の浸食を受け て失われた。吾妻鏡によれば、義経は藤原元成の衣河館(ころもがわのたち)で滞在中に襲

われたとあるが、高館が衣河館であったかは不明。英雄伝説が語り継がれて幾世紀を経るうちに、高館が義経

終焉の地とされて多くの文人墨 客が訪れるようになった。

平泉町は昭和44年(1969年)に護岸工事をほどこし、同時に義経堂を元の位置より5m西側 に移転した。高館へ

の入り口から階段を20段ほど上ると、高台から眺望が開ける。眼下には北上川が流れ、川向こうには秀峰・束稲

山(たばしねやま、別名・東山)、平泉随 一といわれる美しい景色が広がる。

文治2年(1186年)、平泉を訪れた西行は以下の作を残している。

「ききもせず たばしね山の桜花 吉野のほかにかかるべしとは」高台右手には松尾芭蕉の「夏草句碑」がある。

  「奥の細道」より300年を記念した「平泉芭蕉祭」の記念句碑として、平成元年(1989年)に建立された。

松尾芭蕉が平泉を詠んだ有名な「夏草や兵(つわもの)共が夢の跡」の句と、「奥の細道」の一節(下記参照)が刻

まれている。

  三代の栄耀一睡の中にして大門の跡は一里こなたにあり

  秀衡が跡は田野になりて金鶏山のみ形を残す

  先ず高館に上れば北上川南部より流るる大河なり

  衣川は和泉が城をめぐりて高館の下にて大河に落ち入る

  泰衡等が旧跡は衣ヶ関を隔てて南部口を差し固め夷を防ぐと見えたり

  さても義臣すぐってこの城にこもり巧名一時の叢となる

  「国破れて山河あり 城春にして草青みたり」と笠うち敷きて時の移るまで涙を落とし侍りぬ

  「夏草や兵どもが夢のあと」