京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

古都の秋(八坂神社から清水寺へ)その9

音羽の滝とは、清水寺の寺名の由来となった清水の湧き出す滝。古来「金色水」「延命水」とも呼ばれ、現在では学業や恋愛成就、長寿にあやかれるパワースポットとして親しまれている。祠(ほこら)から伸びる水流は三本に分かれており、それぞれ違ったご利益を…

古都の秋(八坂神社から清水寺へ)その8

清水の舞台から谷を隔てて見える塔が子安塔(こやすのとう、重要文化財)である。子安塔は、聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝えられているが、その創建時期は不明。現在の建物は、1500年(明応9年)の再建で高さ約15メートルの三重塔(重文)。明治期ま…

古都の秋(八坂神社から清水寺へ)その7

舞台から見おろすことができる音羽の滝は東山36峰に連なる音羽山から下りてきた地下水が3本の筧(かけい)を伝って滝壺に落ちている。京都市の北から日本海へと連なる山並みは北山山地、丹波山地と呼ばれる。北山山地の分水嶺から北側の水は日本海へと流…

古都の秋(八坂神社から清水寺へ)その6

本堂は国宝。徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建された。「清水の舞台」とも呼ばれる。屋根は寄棟造、檜皮葺きで、正面(南面)左右に入母屋造の翼廊が突き出し、外観に変化を与えている。建物の前半部分は山の斜面にせり出すようにして建てられ…

古都の秋(八坂神社から清水寺へ)その5

清水寺は奈良末期778年に僧延鎮が開山し、平安建都間もない延暦17年(798年)坂上田村麻呂が仏殿を建立したと伝える。現在の建物の多くは、寛永8年から10年(1631年から1633年)、徳川家光の寄進によって再建されたもの。清水の観音として平安時代以来多くの…

古都の秋(八坂神社から清水寺へ)その4

三年坂の最後のやや急な石段を登りきると清水寺への参道に出た。人波は三年坂からの人波と東山五条からの五条坂(清水寺への参道)から登ってくる人波がぶつかり、大きなうねりとなって清水寺へと続いている。清水坂をまっすぐに登っていくと見えてくるのが、…

古都の秋(八坂神社から清水寺へ)その3

高台寺通りから二年坂、三年坂の石段を上がって清水寺の参道へ。大勢の観光客の流れが絶えることがない・・・

古都の秋(八坂神社から清水寺へ)その2

下河原の通りを少し南に向かうと左手に見えてくるのが石塀小路への小さな入り口。初めての人は気が付かないほどの入り口である。石塀小路は敷き詰められた石畳、石の塀、建ち並ぶ木造家屋と、何か懐かしく、安らぎを感じる空間である。 敷き詰められた石畳の…

古都の秋(八坂神社から清水寺へ)その1

ck 母の祥月命日である11月4日、京都東山にある西本願寺の大谷祖廟に墓参りに出掛けた。久しぶりの京都であり、円山公園の駐車場に車を置いて円山公園を抜けて大谷祖廟に向かういつもの墓参ル-トである。令和元年に墓終いを行って墓から大谷祖廟に遺骨を移…

庚申山広徳寺(こうしんさんこうとくじ)の秋その3

甲賀市(こうかし)は、滋賀県南東部の甲賀地域にある市。県の南端に位置し、南東端は三重県、南西端は京都府と接する。2004年(平成16年)に旧甲賀郡の5町(信楽町、甲南町、水口町、甲賀町、土山町)が平成の大合併で合併して発足した市である。甲賀地域は…

庚申山広徳寺(こうしんさんこうとくじ)の秋その2

紅葉の名所ということであり、訪れてみたがさほど紅葉していない。境内で掃除をする土地の人に聞いたら、昔はもっと紅葉の木があったとのこと。だが今年の夏は異常気象で11月に入っても夏日が続くほどだから、今年の紅葉の名所はほとんど全滅ではなかろうか…

庚申山広徳寺(こうしんさんこうとくじ)の秋その1  

庚申山広徳寺(こうしんさんこうとくじ)は甲賀市水口町山上にある、今から1200年も余り前に最澄が開いたお寺で、真鍮製造の始まりとなった伝説に由来して、各地から参拝者が訪れるという。庚申山頂からは甲賀郡内を眺望できる。秋には山全体が紅葉で覆われ、…

琵琶湖の秋その3

琵琶湖汽船のミシガンが秋の湖上をゆっくりと流れるように進んでゆく・・・

琵琶湖の秋その2

下坂本の湖岸辺りの風景。静かな湖面は鏡のように広がり、秋空を映していた・・・

琵琶湖の秋その1

琵琶湖西岸に突き出たほんに小さな岬にある衣川緑地公園。その湖畔から眺めた琵琶湖の秋の風景・・・やや西に傾きかけた秋の陽に秋が浮かび上がり、そして輝く・・・

大津市衣川緑地公園のコスモスその2

いろいろな種類のコスモスが咲き乱れている様子は壮観といってもいい・・・

大津市衣川緑地公園のコスモスその1

琵琶湖の西側にある「衣川緑地公園」(滋賀県大津市衣川)は、湖の真横に広がる公園で、コスモス畑の規模は大きくないが、赤・ピンク・薄ピンク・白・黄色とカラフルなミックスコスモスは見応えがある。

守山市新庄町コスモス園2

キバナコスモスの咲く畑に隣接する畑ではピンク系の花を咲かせるセンセーションがさわやかに咲き乱れていた・・・

守山市新庄町コスモス園1

「新庄町コスモス園」(滋賀県守山市新庄町地先)は、「新庄町自治会」が休耕田を利用して栽培しているコスモス畑。約2,500平方メートルに植えられた約25万本のコスモスは、ピンク系の花を咲かせるセンセーションが約12万本、黄色系の花を咲かせるキバナコス…

秋の色

早朝、庭のハナミズキに朝陽があたり、逆光の中で赤く染まっていた・・・

西の湖の秋

ヨシ原がどこまでも広がる西の湖湖岸の秋の風景

琵琶湖湖南・秋の風景その2

湖岸を覆うヨシ原を秋風が吹き抜けてゆく・・・

琵琶湖湖南・秋の風景その1

えり漁の網が湖上を吹き渡ってゆく秋風に静かに揺らいでいた・・・

水口城址の彼岸花その2

城址には真っ赤に燃える彼岸花がよく似合う・・・

水口城址の彼岸花その1

近江鉄道水ロ城南駅の北約150mのところにある城址。江戸幕府3代将軍徳川家光が上洛の際の宿館として築城された後、水ロ藩2万5千石の居城となり、湧水を利用した薬研堀(やげんぼり)に水をたたえていたことから「碧水城(へきすいじょう)」の別名がある。明…

近江八幡の秋その4

近江商人の町並みから望む標高271,9mの八幡山。山頂には八幡城址が残る。

近江八幡の秋その3

安土城落城後、1585年豊臣秀次が城を築き近江八幡の町は開かれた。まちづくりのシンボルでもあり時代劇のロケ地としても知られる八幡堀、風情と情緒ある近江商人の町並み・・・

近江八幡の秋その2

豊臣政権時代の天正13年(1585年)に運河として造られた。八幡山城の城下町は、西湖を経由して琵琶湖とつながった八幡堀の水運によって商業都市として発展し、近江商人を生んだ。全長4.75キロメートル、幅員約15メートルである。埋め立ての危機を免れて現在…

近江八幡の秋その1

静けさに包まれた近江八幡、八幡堀の秋・・・

晩夏の名残りその3

琵琶湖伝統漁法(障害物にぶつかるとそれに沿って泳ぐ魚の習性を利用した)魞漁(えりりょう)の仕掛け網としらさぎの風景・・・晩夏の名残り。