2006-01-01から1年間の記事一覧
「城塞」は昭和44年7月から平成46年10月まで週刊新潮に連載されました。関ヶ原から14年、徳川家康は 天下とりを完全に果たすため、大阪城の秀頼、淀君に策謀をめぐらし開戦の口実をつくり、豊臣家を滅ぼ します。豊臣の大阪方は西欧をはるかに凌ぐといわれ…
「関ヶ原」は昭和39年7月から昭和41年8月まで週刊サンケイに連載されました。豊臣秀吉亡きあと天下とり をめざす徳川家康と豊臣政権を守ろうとする石田三成の戦いを描いた小説です。小説の終盤はいわゆる天 下分け目の関が原の戦いが描かれ、この小説の中核を…
12月の里山風景その2
12月の湖南の里山風景。
「若狭街道」 若狭小浜から上中町の熊川宿を経て滋賀県の朽木を通り、京都の大原から出町柳に至る。別名鯖街道という。若狭から運ばれたひと塩の鯖は京の都に着く頃には、調度よい塩加減になった。京都の食文化の中に今も若狭の魚がいきている。この道は単に…
「翔ぶが如く」は昭和47年1月から昭和51年9月まで毎日新聞に連載されました。明治維新の功労者であっ た薩摩の西郷隆盛と大久保利通の後半生を描き、明治維新と薩長藩閥の本質を描いています。明治5年、 のちに警視庁を創設する薩摩の川路利良が明治政府の司…
「世に棲む日日」は昭和46年5月から7月に文芸春秋に連載されました。文春文庫第一巻から第二巻の半ば までが幕末長州藩の思想家吉田松陰の生涯について、第二巻の後半から第四巻までがその後継者である高 杉晋作の生涯が描かれています。倒幕への主動力とな…
「峠」は昭和41年1月から昭和43年5月まで毎日新聞に連載されました。最後の将軍徳川慶喜は大政奉還、 薩長を主とする官軍は江戸へ、会津藩を中心とする佐幕派は敗走。そんな状況の中で越後長岡藩の家老で あった河井継之助は徳川幕府にも倒幕派にも属さず永…
「新選組血風録」は昭和37年5月から12月まで小説中央公論に連載されました。 維新動乱期の象徴的存在であった新選組にあらゆる角度から焦点をあててその時代的背景と人物像を浮き 彫りにした「異聞集」で、15編の短編小説をまとめたものであり、後に司馬史観と…
「王城の護衛者」は昭和40年4月別冊文藝春秋に掲載されました。14代将軍徳川家茂の信頼厚かった京都守 護職会津藩主松平容(かた)保(もり)の、守護職就任から薩長に敗れて15代将軍徳川慶喜とともに江戸に逃 れ、最後に会津で武士としての意地を貫き通すまでの激…
「覇王の家」は昭和45年1月から翌年9月まで小説新潮に連載されました。徳川300年、戦国時代の争乱を平 らげ、徳川幕府という長期政権「覇王の家」の礎を築きあげていった徳川家康の生涯を描いた小説です。 ◎わたしと「覇王の家」 織田信長、豊臣秀吉そして徳川家…
「歳月」は昭和43年1月から翌年11月まで小説現代に連載されました。佐賀鍋島藩脱藩志士江藤新平が 明治政府で司法卿まで栄達し、近代日本の法体系を確立しましたが、明治6年の征韓論で敗れて下野。薩 長閥の明治政府を激しく非難して佐賀の乱を起こしました…
「梟の城」は昭和33年4月から翌年2月まで中外日報に連載されました。葛籠重蔵という伊賀の忍者を主人公 にした痛快忍者小説です。篠田正浩監督が同名で映画化しています。司馬さんはこの小説で直木賞を受賞 して流行作家(司馬さんはこの呼び方は好きではなかっ…
「最後の将軍」は昭和41年6,9,12月に別冊文芸春秋に連載されました。徳川15代最後の将軍徳川慶喜の生涯 を描いた物語です。神君家康公の再来といわれ、薩長土肥の、いわゆる倒幕藩から恐れられた英傑といわ れましたが、いっぽう大政奉還(政権を朝廷に還す)や…
稲刈りの終える頃・・・
「風塵抄」は平成61年5月から平成8年2月(司馬さんが亡くなった月)まで「サンケイ新聞」に連載 されました。風塵とは世間のことを指し、小間切れの世間話を意味します。司馬さんの独特の語り口によ る炉辺談話のような随筆です。 司馬さんが亡くなった…
「人間の集団について ベトナムから考える」は昭和48年4月から7月まで「サンケイ新聞」に掲載さ れました。鋭い史観による独特の発想と、やさしい心に映った内戦下のベトナムの姿、複雑な国際関係と 政治の力学について誰一人として言及しなかった深い洞…
「義経」は昭和41年4月から昭和43年4月まで「九郎判官義経」の題名(のち「義経」と改題)でオ ール読物に連載されました。判官びいきとよく言われるように日本人の心の中にはよわい者や悲劇のヒー ローに対する哀れみとかいたわりとかに敏感に反応す…
里山の晩夏は里山の初秋への序曲 豊穣なる近江の大地、実りの母なる季節・・・
9月2日 里山の空
里山にも秋の気配がやってきた 実りの秋、豊穣の季節・・・
里山の朝の訪れは早い。 見ているうちに水田の稲穂は水が流れるごとく黄金色に染まっていく。 今日も暑い一日となるだろう・・・
秋の気配が忍び寄るお盆の過ぎた近江里山の夕景。
かって東海道五十三次の起点であり、過去の歴史の転換期に幾度も登場した京都三条大橋は平成の時代も京都の象徴としてあり続ける。
「国盗り物語」は昭和38年8月から昭和41年6月まで「サンデー毎日」に掲載されました。 美濃の斉藤道三、その娘婿の織田信長ならびに斉藤道三の甥である明智光秀の三人の主人公が戦国の世を いかに生き抜いていったかその様を描いています。 斉藤道三は長男の…
いよいよ梅雨明け間近、琵琶湖湖南の里山にもようやく夏が訪れた。
中山道は京都三条大橋から始まり、草津、守山、武佐、愛知川、高宮の宿場町の次がこの鳥居本宿。次の番場、醒井を経て関が原に続いている。 江戸期以前の中山道は東海道に対して山道ゆえ東山道(とうさんどう)と呼ばれ、古代から中世にかけて京(都)と東国…
里山の風景は日本の風景の原点
京都の東山五条に西本願寺の東山本谷御廟がある。東山の懐に優しく抱かれた御廟の中の御影堂裏側一帯 には墓地が広がる。普段は静かなこのあたりも、お彼岸の中日やお盆のときは墓参の人々でにぎわう。 元々西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山で、現在の西本…
愛読書3 「坂の上の雲」の続き 写真上から 秋山好古 秋山真之 日本海海戦 新人物往来社刊 「秘蔵写真日露戦争」より