「若狭街道」
若狭小浜から上中町の熊川宿を経て滋賀県の朽木を通り、京都の大原から出町柳に至る。別名鯖街道という。若狭から運ばれたひと塩の鯖は京の都に着く頃には、調度よい塩加減になった。京都の食文化の中に今も若狭の魚がいきている。この道は単に鯖だけを運んだのではない。魚に加え、いろんな海産物も運ばれ、文化も都に運ばれた。
京都に向かう上り荷には魚介類など若狭の海産物が、小浜に向かう下り荷には若狭では手に入りにくい生活用品や京土産を携えていた。その街道で賑わった宿場の一つが朽木宿である。最盛期には村人や馬方たち数百人が鯖街道背持人として30キロの荷物背負って行き来した。「京は遠ても十八里」は、鮮度のある魚を京へ運ぶ若狭の人の心意気を感じる言葉である。実際には、駅伝のように宿場宿場でリレーして運ばれた。その面影をかすかに残す朽木の町。