二月堂お水取り
千年の昔から続く神秘的といっていい二月堂の修二会、これからも変わりなく伝わっていってほしい・・・
漆黒の闇の中で行われる二月堂修二会の行事、天平勝宝4年(752)から1273回連綿として続けられ今日に至ったことは奇跡といっていい。
定刻の七時になるとお堂を照らしていた照明が一斉に消えた。お堂の姿が雪洞の淡い光にうっすらと浮かび上がった。 東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正の高弟、実忠和尚が創始された。以来、令和6年(2024)には127…
夜の帳が下りるに従い足元から夜の冷えが昇ってくる。お堂の雪洞に灯が入り、空が次第に暗くなってきた・・・ 修二会が創始された古代では、それは国家や万民のためになされる宗教行事を意味した。天災や疫病や反乱は国家の病気と考えられ、そうした病気を取…
鹿の姿も見受ける二月堂の参道をゆく。参道の両側には修二会の人混みに対処するため竹矢来が続く。広場に出ると驚いた。まだ四時過ぎで大松明の点火時間まで三時間もあるのにこの行列である。そそくさと最後尾に付く。毎年来慣れている人たちは折り畳みの小…
説明するまでもないあまりにも有名な大仏殿・・・大仏殿の前を右に折れ、二月堂へ向かう。途中巨大な鐘楼の前に出る。この鐘楼、重さ約26トンもの天平時代の梵鐘(国宝)を吊る為に建造されたもので、現在の鐘楼は鎌倉時代の承元年間(1207年~1210年)に再…
春日大社参道から大仏殿へ、観光客も鹿も多くなる・・・
奈良の町は、古代の都、平城京の「外京(げきょう)」とよばれる地域を中心に形成された。都が京都へうつると平城京はまたたくまに荒廃してしまったが、京内にあった東大寺・興福寺・元興寺などの諸寺院はそのまま奈良に残された。のちに奈良は「南都(なんと)…
高台にある興福寺から石段を下って猿沢池の畔に出て、しばし池の向こうにある興福寺の五重塔の景観を楽しむ。そのあと奈良町に向かった。
中金堂は平成30年に復元されたばかりであり、建物の朱色はその鮮やかを周囲に放ち、南西方向に目を向ければ五重塔の甍が目に飛び込んでくる。塔の傍で重機が鉄材を塔の上方に吊り上げ作業を行っていた。興福寺五重塔は明治時代以来120年ぶりとなる大規…
奈良駅前から三条通を通って興福寺に向かう。三条通の両側の商店街もホテルが出来ていたり、若者向けの店舗が出来ていたりして賑わいを見せていた。三条通を歩いて行くと興福寺の五重塔の伽藍が見えてくる。三条通から南円堂に向かう石段を登りきると左手に…
ようやく奈良二月堂のお水取り(修二会)に出掛けることが出来た。かつて奈良の生駒市に住んでいたのにお水取りを見に行く機会がなかった。JR奈良駅に降り立って駅前の変貌に驚きながら奈良公園に向かった。