2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧
今年は行けなかった3月18日の湖国に春を告げる「左義長祭り」も終わり、近江八幡にも春がやってきた。八幡 堀の桜の蕾も膨らみ、開花を待つ。 一昨年の左義長祭りの様子は下記をクリックして御覧ください。 http://blogs.yahoo.co.jp/sna65954/folder/16017…
寿長生の郷 に広がる春を迎えた雑木林。小さなせせらぎのある懐かしい雑木林。昔はこのような風景は何処に でもあったような気がする。
寿長生の郷の建屋に向かう待合、エントランスの風情、軒下や壁に架けられた花器のつつましい花々・・・ 静かな時が流れる・・・
滋賀県の和菓子の老舗、叶匠壽庵が運営する寿長生(すない)の郷には見事な梅林がある。この梅林で収穫さ れる梅の実は和菓子の食材に使用されている。 だがここの梅林の開花も二週間は遅れているという。だがその分桃の花が満開となって、観梅に訪れた人々を…
紅梅の妖精たちがおててをつないでやってきた・・・こちらはすでに満開だ。
冬枯れの色から春の色彩へ・・・
第二梅林にある寒紅梅の一本が満開で周囲の春の風を振りまいていた(写真1~5) 。それに負けまいとする寒 桜(写真6~ 8)咲き始めながら可憐で健気のたたずまいを見せていた。
石山寺には三つの梅園があるが、どの梅園も今年の開花は遅く、七分咲きと聞いて出かけてきたが、まだ三分 咲きというところであろうか。だがあと10日もすれば見ごろとなることだろう。まだ硬そうな蕾が健気でならない。
石山寺は、滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺。本尊は如意輪観音、開基は良弁(ろうべん)で ある。当寺は京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三箇所観音 霊場第13番札所となっている。また当寺は「蜻…
水口神社(みなくちじんじゃ)は、滋賀県甲賀市水口町にある神社にて平安時代の「延喜式」に記録され ている古社。太鼓橋を渡って境内に入り、樹木に囲まれた本殿へと続く。江戸時代には水口宿の繁栄と ともに社殿が整備され、藩主加藤氏の保護を受け、「大…
かつて湖南を流れる野洲川は、水口のあたりでは横田川と呼ばれていた。「横田の渡し」は、「東海道十三渡し」 の一つで、伊勢参宮や東国へ向かう旅人は、この川を渡らねばならず、室町時代の史料 にも『横田河橋』の名 が見えている。 江戸時代に入り東海道…
近江平野を走る新幹線・・・
近江八幡の田園地帯から眺めた雪の比良山。春はもう近い・・・
春の気配がほのかに漂う観音寺山・・・
インドの白檀で造られた千手観音(観音正寺のHPから転載) 観音寺山の標高は433メートル、この観音正寺の標高は365メートル。境内からの眺望はこの日はやや視界は よくなかったけれど近江平野が眼下に広がっていた。本堂の扁額には「繖山」の文字が見える…
観音正寺(かんのんしょうじ)は、宗旨は天台宗系の単立。山号は繖山(きぬがささん)。本尊は千手観音。西国 三十三箇所第32番札所。琵琶湖の東岸、標高433メートルの繖山(きぬがさやま)の山頂近くに位置する。伝承 によれば、推古天皇13年(605年)、聖…
日吉神社の反対側の小径をしばらくゆくと佐々木六角の御屋形跡があった。いまはその面影はまったく残ってい なくて小さな天満宮の祠があるのみである。観音寺山全山を石垣で囲って山城とした佐々木氏はこの御屋形が 生活の場所だったのだろう。六角氏(ろっ…
観音寺山。別名繖山(きぬがさ山)。標高432.7m。西国観音霊場第32番札所観音正寺のある山で有名。 全山が南近江の名族佐々木氏の観音寺城で戦国時代の典型的な山城。1568年織田信長が将軍足利 義昭を奉じて上洛する際に観音寺城主佐々木承禎は、一ヶ月は保…
安土町西老蘇にある鎌若宮神社からさらに中山道を東に向かうと「街道をゆく」でも紹介した鎌宮奥石(おいそ) 神社がある。住所は 安土町 東老蘇。奥石神社が鎮座する老蘇の森は平安時代から人々に知られた場所であ り、かつては今の数倍の森林であったとい…
中山道武佐宿から3キロばかり東に向かうと左手にある鎌若宮神社。住所は近江八幡市安土町西老蘇。由緒、 創建年代は不明。 毎年1年、町内に邪悪なモノを入り込ませないようにする勧請縄を張る日に、椿の葉などを 巻いて作った直径約1メートルの輪の中に天…
中山道は京都から大津宿、草津宿、守山宿、そして武佐宿を過ぎて愛知川宿へと続く。山道武佐宿を過ぎて4 キロばかりゆくと左側に老蘇(おいそ)の森という神々しい雰囲気につつまれた森がある。その森の中に鎮座する のが奥石(おいそ)神社である。その神…
町中を散策しているとまた雪が激しく降ってきた。日牟礼八幡宮の参道を行きかう人々も突然の雪に背を丸くし て足早に去っていった。