09左義長まつり(近江八幡)
まつりの最後の夜、数ヶ月かけて作られた山車に火が点けられる。またたくまに山車は炎に包まれ、それ を取り巻く若衆たちはまつりの終焉を惜しむかのように狂喜して踊りまくる。そしてまつりは終わり、近 江八幡の町はいつもの静かな城下町に戻ってゆく。
まつりは男たちだけのものではない。女たちも美しく着飾り、化粧をして踊子の中に加わる。
山車を担ぐ踊子たちは漢達の中の漢達だ。この漢達の姿を見て育った子供たちは明日の漢を夢見る。
精一杯化粧してまつりに参加する子供たち。この子供たちの体内に流れる熱い血潮が伝統を守りつづけて ゆく。
普段は静かな城下町である近江八幡市。まつりのときこれだけの若者が何処から湧いてくるように集まっ てくるのだろうか。他の土地に移っていった若者もこのまつりのときだけは何をさておいても帰ってくる のだろう。そして子供のときからなじみ、生活の一部…
山車の上で笛を吹いて音頭をとるもの、山車の下にもぐりこむもの、スクラムを組んで押していくもの。 山車はチームワークでもって互いに攻めまくる。それを見て周囲を取り囲む観衆はやんややんやと手を叩 いてさらにけしかける。怒号が飛び交い、事故を恐れ…
八幡市内の各町内で工夫を凝らして製作された13基の山車は、通りで他の町内の山車と互いの名誉をかけ てぶつけ合って組合せ(けんか)する。山車の担ぐ部分の井桁に組まれた丸太を互いに絡ませ、押し込ん で持ち上げ、相手の山車をひっくりかえすと勝となる…
今年も湖国に春を告げる近江八幡の「左義長まつり」に大勢の人々が集まり、ゆく冬を惜しみ、来る春を 喜ぶ。安土で天下に号令した織田信長の時代に始まったというこのまつりは織田信長が亡くなり、豊臣秀 吉の天下となっても、秀吉の養子秀次が近江八幡を治…