白鳳伽藍(薬師寺・唐招提寺)
西方にある大池から眺めた薬師寺伽藍。奈良の写真家故入江泰吉氏の写真によりすっかり有名になった構図 である。 故入江泰吉氏撮影 「宵月薬師寺伽藍」 1982年頃撮影 <撮影地:奈良市西の京 大池周辺>「落陽寸前の淡い日差しに映し出された西塔の九輪の金…
古都西の京の春・・・
静かな西の京の風景、モノクロの世界・・・
鑑真和上御廟 鑑真和上御影堂 国宝 鑑真和上坐像 東山魁夷作障壁画 ふすま絵 鑑真和上御廟・・・境内の北東の奥まった静かな場所に位置する鑑真和上の墓所。 御影堂・・・境内の北側、御廟の西側に位置する土塀に囲まれ、ひっそりとした瀟洒な建物。元は、興…
手前左が金堂、奥が講堂、右が鼓楼 手前右が東室、真ん中が鼓楼、その左奥が講堂 手前左が講堂、奥が東室、右が鼓楼 本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代) 持国天立像(重文、奈良時代) 増長天立像(重文、奈良時代) 唐招提寺講堂、国宝。入母屋造、本瓦葺…
千手観音立像 本尊・盧舎那仏坐像 薬師如来立像 唐招提寺は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬 舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐…
国宝 聖観世音菩薩 境内の東回廊の外側にある東院堂は、養老年間(717~724)に吉備内親王[きびないしんのう]が元明天皇[げ んめいてんのう]の冥福を祈り、建立された。奈良時代は現在地の東側に建てられていたが、天禄4年(973)の 火災で焼失した。…
昭和51年に金堂、同56年に西塔が落慶し、以後中門・回廊の再建工事と平行して大講堂の復元設計に着手。 基本設計は西岡常一棟梁で金堂以来一貫した裳階付の薬師寺独自の様式。大講堂は正面41m、奥行20m、 高さは約17mあり伽藍最大の建造物である。 大講…
国宝 薬師三尊像 月光菩薩 薬師瑠璃光如来 日光菩薩 インターネットから転載 金堂は享禄元年(1528)この地域の豪族の戦火に巻きこまれ、西塔などと共に焼失。その後、豊臣家が金堂の 仮堂を建て、その後本格的な金堂の再建に取りかかる筈であったが、豊臣…
西塔は華やかな塔だけに遠目にも華やかで美しい。とくに陽が生駒の山並みに傾く頃、法輪が鮮やかに輝きを 放ち出す。直ぐ脇を近鉄電車が走る。いまなら絶対に許されないことだが電車と西塔の組合わせもまた一興で ある。 宮大工の西岡常一は著書の中でこん…
西塔は昭和56年(1981)に復興された。東塔と比較すると、まずその鮮やかな色に目を奪われるが、またそれは 奈良を表わす色使いでもあると言える。塔の連子窓[れんじまど]に使われている色を「青[あお]」色、扉や柱に 使われている色を「丹[に]」色と…
東塔特別公開のパンフレットから 国宝。現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)にさかのぼる唯一のもの。総高34.1メートル(相輪含む)。 日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4 番目…
奈良西ノ京薬師寺。正面から見て金堂の右にある国宝東塔は創建当初残る唯一の建物である。この塔が今年 から大修理される。工事に建立以後、現在まで約1300年が経過し、その間建物を保持するための修理が幾度 か行われてきたが、今回行われる大修理は保存と…