2023-01-01から1年間の記事一覧
地球温暖化で四季の移ろいが段々と不明確になってきた。明日から始まる新年の正月も十年振りの暖冬になるという。今年は世界中であまりにも不幸な出来事があり過ぎた。来年こそ良い年になることを祈らずにはいられない。 本年もいろいろありがとうございまし…
菜の花も柿も褪せた色合いになってしまって里山の風景に取り残されたように見える里山の風景が何やら物悲しい・・・
住まいの近くの湖南の里山風景・・・
湖北には渡ってきているコハクチョウは今年はこの湖岸にもやってくるのだろうか・・・
強烈寒波は明日未明にも比良山に初冠雪をもたらすのであろうか・・・
静かな初秋の八橋帰帆島公園の風景・・・絨毯のような落葉の上にメタセコイヤの立木の長い影が伸びる・・・
矢橋帰帆島公園の冬、メタセコイヤが晩秋の最後の黄金の輝きを見せる・・・
2006/1/29撮影 第18回湖北野鳥コンテスト入賞作品 関ヶ原の帰途三島池に立ち寄った。伊吹山が綺麗に見える池である。この日12月8日というのに季節外れの暖かさで池の水鳥たちも本当なら寒さに凍えそうになって水面に浮んでいるのに・・・池の背景に立ちはだ…
関ヶ原古戦場記念館のすぐそばには徳川家康が最後に陣を敷いた陣跡があり、そこから車で碑の立つ古戦場激戦地、石田三成、島左近の陣跡があった笹尾山の麓を訪ね、最後に徳川家康が最初に陣を敷いた桃配山を訪れたのであった。
先日NHKの大河ドラマ「どうする家康」の番組で関ケ原の「関ケ原古戦場記念館」が紹介されていた。昔関ケ原を訪れたことがあり、その時は関ケ原古戦場が紹介されていた観光施設は「関ケ原ウォーランド」と呼ばれた施設であった。だいぶ老朽化した施設で展…
音羽の滝とは、清水寺の寺名の由来となった清水の湧き出す滝。古来「金色水」「延命水」とも呼ばれ、現在では学業や恋愛成就、長寿にあやかれるパワースポットとして親しまれている。祠(ほこら)から伸びる水流は三本に分かれており、それぞれ違ったご利益を…
清水の舞台から谷を隔てて見える塔が子安塔(こやすのとう、重要文化財)である。子安塔は、聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝えられているが、その創建時期は不明。現在の建物は、1500年(明応9年)の再建で高さ約15メートルの三重塔(重文)。明治期ま…
舞台から見おろすことができる音羽の滝は東山36峰に連なる音羽山から下りてきた地下水が3本の筧(かけい)を伝って滝壺に落ちている。京都市の北から日本海へと連なる山並みは北山山地、丹波山地と呼ばれる。北山山地の分水嶺から北側の水は日本海へと流…
本堂は国宝。徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建された。「清水の舞台」とも呼ばれる。屋根は寄棟造、檜皮葺きで、正面(南面)左右に入母屋造の翼廊が突き出し、外観に変化を与えている。建物の前半部分は山の斜面にせり出すようにして建てられ…
清水寺は奈良末期778年に僧延鎮が開山し、平安建都間もない延暦17年(798年)坂上田村麻呂が仏殿を建立したと伝える。現在の建物の多くは、寛永8年から10年(1631年から1633年)、徳川家光の寄進によって再建されたもの。清水の観音として平安時代以来多くの…
三年坂の最後のやや急な石段を登りきると清水寺への参道に出た。人波は三年坂からの人波と東山五条からの五条坂(清水寺への参道)から登ってくる人波がぶつかり、大きなうねりとなって清水寺へと続いている。清水坂をまっすぐに登っていくと見えてくるのが、…
高台寺通りから二年坂、三年坂の石段を上がって清水寺の参道へ。大勢の観光客の流れが絶えることがない・・・
下河原の通りを少し南に向かうと左手に見えてくるのが石塀小路への小さな入り口。初めての人は気が付かないほどの入り口である。石塀小路は敷き詰められた石畳、石の塀、建ち並ぶ木造家屋と、何か懐かしく、安らぎを感じる空間である。 敷き詰められた石畳の…
ck 母の祥月命日である11月4日、京都東山にある西本願寺の大谷祖廟に墓参りに出掛けた。久しぶりの京都であり、円山公園の駐車場に車を置いて円山公園を抜けて大谷祖廟に向かういつもの墓参ル-トである。令和元年に墓終いを行って墓から大谷祖廟に遺骨を移…
甲賀市(こうかし)は、滋賀県南東部の甲賀地域にある市。県の南端に位置し、南東端は三重県、南西端は京都府と接する。2004年(平成16年)に旧甲賀郡の5町(信楽町、甲南町、水口町、甲賀町、土山町)が平成の大合併で合併して発足した市である。甲賀地域は…
紅葉の名所ということであり、訪れてみたがさほど紅葉していない。境内で掃除をする土地の人に聞いたら、昔はもっと紅葉の木があったとのこと。だが今年の夏は異常気象で11月に入っても夏日が続くほどだから、今年の紅葉の名所はほとんど全滅ではなかろうか…
庚申山広徳寺(こうしんさんこうとくじ)は甲賀市水口町山上にある、今から1200年も余り前に最澄が開いたお寺で、真鍮製造の始まりとなった伝説に由来して、各地から参拝者が訪れるという。庚申山頂からは甲賀郡内を眺望できる。秋には山全体が紅葉で覆われ、…
行列は明治維新から始まり、維新勤王隊に続き江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、延暦と8つの時代を20の列、牛や馬を含む総勢約2000名が次々と堺町御門をくぐってくるが、予定時間がきたため今年は残念ながら維新勤王隊の雄姿を見て堺町御門を後にした…
行列開始時間の30分前に京都御苑から丸太町通りに出る堺町御門に移動。門前はすでに人垣で埋め尽くされていた。行列は堺町御門を出て烏丸通を南下、御池通を東に向かい河原町通りを南下し、三条通りから三条大橋を渡って神宮道を北上して平安神宮に至る二時…
平安時代を彷彿とさせる牛車もゆく・・・
行列開始まで思い思いに昼食をとったり衣服を改めたりして過ごす人々・・・
維新勤王隊が威風堂々の隊列を組んで、笛太鼓の音に合わせて大路を進んできた。維新勤王隊はかつての北桑田郡京北町(現在京都市右京区京北)から、朝廷の力になろうと官軍としていち早く駆け付けた山国隊をいう。笛と太鼓を持った楽隊を要するこの部隊は現…
京都御苑の中央を南北に延びる大路の突き当りにあるのが京都御所であり、大路の東側にもう一本大路が南北に連なっている。その大路の東側にあるのが大宮御所である。京都御所が平安京へ遷都した794年から明治維新のころまで、天皇の住まいであったのに対し、…
時代祭は、5月の葵祭、7月の祇園祭と並ぶ「京都三大祭」のひとつで、京都平安神宮の大祭で、平安神宮の創建と平安遷都1100年を奉祝する行事として、1895年(明治28)に始まった。第1回目は10月25日に行われ、翌年からは、桓武天皇が794年(延暦13)に長岡京…
時代祭は、平安神宮の創建と平安遷都1100年紀念祭を奉祝する行事として、明治28年に始まった。明治維新によって著しい衰退を見せた京都の町おこし事業の集大成として平安神宮が創建され、そこに寄せられた人々の熱意の象徴として、まったく同じ意志のもとに…