2014-11-01から1ヶ月間の記事一覧
紅葉の鮮やかな彩に感嘆の声をあげながら人々は秋を楽しむ・・・
紅葉に彩られた南禅寺界隈をゆく・・・
黄金色に輝く大銀杏・・・
本寺は天平年中(729~749)聖武天皇が安積皇子の冥福を祈って行基に開かせたもので仏法寺と称し、俗に幡 寺と呼ばれていたという。往昔は寺領も多く仏法寺山に大伽藍を構えていたが、南北朝の内乱の際にしばしば 武将の陣営にあてられ衰微していたが、江戸時…
紅葉の名所、正法寺の境内から眺めた茶畑の風景・・・
安土城址に見た光と影・・・ このページをもって「安土城址をゆく」を終わります。
安土城址入口の前に伸びる道路を西へ山裾に沿ってしばらく車を走らせたところに百々橋口があり、百々橋が ある。安土城への登り口、すなわち摠見寺への参道の石段が西日に赤く輝いていた。右手の安土城址と刻 まれた大きな碑も黄金色に輝いている。かつては…
京都府の南部に位置する和束町は別名「茶源郷」とも呼ばれ、日本のお茶文化を発信する数少ない町である。 この町にある、あまり人に知られていない紅葉の名所、「正法寺」に出かけた。和束町に入ると「茶源郷」の名の 通り茶畑がいたるところに美しい風景を…
摠見寺址から薄暗い石段を下ってゆくと仁王門の甍が見えてくる。 仁王門ー屋根は入母屋造り、本瓦葺きで、門内に安置されている金剛力士像も門と並んで重要文化財に指定 されている。金剛力士像の頭部内側には「応仁元年因幡院朝作」の造像銘が残されている…
摠見寺址から眺める西の湖の眺めは素晴らしい。特に陽が西に傾いたこの時間帯は西の湖も周囲のヨシも金 色色に輝き出す。この摠見寺址からやや急な石段を下ってゆくと仁王門の甍が見えてくるのである。
草津の旧東海道筋にある立木神社にも秋がやってきた。神社の前を過ぎ草津川の橋を渡ると草津宿に入る。 かっては京都を早立ちした旅人たちは立木神社の紅葉を見ながら草津宿の雑踏の中に消えていったのだろう。
晩秋の午後、静寂が包む琵琶湖の風景・・・
天主閣址から石段を下り、織田信雄四代の供養塔を回って上ってきた道を途中から右手にとって摠見寺(そうけ んじ)址に向かう。 摠見寺(総見寺)ー天正年間に安土城築城に伴って、織田信長によって城郭内に建立された。開山は、織田一 族の岩倉城主主織田…
湖水一面を覆い尽くした水草を押し分けて水鳥たちが餌を食む秋の午後・・・
すすきのある風景、晩秋の風景・・・
天主の礎石に午後の秋の陽が斜めに射し、爽やかな秋風が頬をよぎってゆく。そんな静寂に包まれた天主閣址 に佇んで、干拓地の水田を水面に置き換えて想像してみれば、信長が天主閣から眺めた風景にほぼ近いので はないか。まさに「兵どもの夢のあと」であろ…
天主閣址からの眺望。築城当時は満々と水をたたえた琵琶湖内湖(伊庭内湖、常楽湖)が安土山の麓から広 がっていたが、今は干拓地の田園風景が広がる・・・
京都八瀬、秋の風景・・・
天主閣跡への石段を上ると忽然と周囲が明るくなった。天主閣跡は背丈ほどの高さの石垣に囲まれ東西、南北 それぞれ約28mの台地、今は礎石が1,.2mおきに整然と並ぶだけであるが、この部分は天主の穴蔵(地階の部 分)にあたり、その上にさらに大きな天主が…
草津宿、旧東海道筋に夜店が立ち並ぶ、草津街あかりイベントの風景・・・
信長本廟から天主を支えていた石垣に沿ってさらに進むと広い平地にたどり着く。本丸跡である。「信長公記」に よればこの本丸の建物には天皇を招き入れる「御幸の間」があったと記載されている。その後の調査で慶長年 間に改修された京都御所内の天皇の住居…
上り難い石段をやや汗ばみながら次第に高度を稼いでゆく。時折振り返ると眼前に安土の平野が広がる。黒金 門の跡を抜けて天主跡西下の二の丸跡に着くと「織田信長本廟」と刻まれた石標が立っていた。信長本廟は羽 柴秀吉が天正11年(1583)2月信長公ゆかり…
心静まる光の造形。寺の本堂でもLEDランプがブルーの光を放っていた。
羽柴秀吉邸跡から大手道の石段を上る。石段の段差が高く、上るのには少々やっかいな石段である。当時の日 本人は現代より身長も低く、また直垂を身に着けたような格好では何処までも続く石段を上りきるには大変な労 力だったに違いない。石段の所々には石仏…
天井川となっている草津川のトンネルをくぐってJR草津駅前から大勢の人々がやってくる。トンネルの壁や市内 の寺々では光のページェントが開かれ、鐘楼も美しくライトアップされていた。
今年で11回目を迎える草津市の秋のイベント、「草津街あかり」に初めて出かけた。毎年11月の第一金、土曜日 に行われている。想像していたよりも規模が大きく、大勢の人々が繰り出していた。そんな「草津街あかり」を 追ってみた。
安土城は、織田信長によって、現在の安土山に建造され、大型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つ など威容を誇った。建造当時は郭が琵琶湖に接していた。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メート ル。それまでの城にはない独創的な意匠で…
大輪の菊が太郎坊山の秋を飾る・・・
麓のコスモス畑では老夫婦が農耕にいそしんでいた・・・
太郎坊山から眺めた東近江平野の秋の風景・・・