など威容を誇った。建造当時は郭が琵琶湖に接していた。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メート
ル。それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されている。この城を築城した目的
は、岐阜城よりも京に近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があり、加えて北陸街道から京への要衝に
象徴し、一目にして人々に知らしめるものであり、山頂の天主に信長が起居、その家族も本丸付近で生活し、家
反(本能寺の変)の後まもなくして何らかの原因によって焼失し、その後廃城となり、現在は石垣などの一部の
遺構を残すのみだが、当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した記録によって、焼失前の様
子をうかがい知ることができる。
涼殿を模った本丸御殿などの当時の状況が明らかとなり、併せて石段・石垣が修復工事された。調査は当初予
定通り2008年(平成20年)度の予算をもって2009年に終了した。
良く晴れた秋の午後そんな安土城址を訪れた。入口で入場料を支払い、大手道に立つ。眼前に圧倒されるよう
跡が発掘整備されていた。