京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

城址の入口から大手道へ

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安土城は、織田信長によって、現在の安土山に建造され、大型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つ
 
など威容を誇った。建造当時は郭が琵琶湖に接していた地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メート
 
ル。それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されている。この城を築城した目的
 
は、岐阜城よりもに近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があり、加えて北陸街道から京への要衝に
 
位置していたことから、「越前・加賀の一向一揆に備えるため」あるいは「上杉謙信への警戒のため」などと推察
 
されている。城郭の規模、容姿は、太田牛一宣教師の記述にあるように天下布武(信長の天下統一事業)を
 
象徴し、一目にして人々に知らしめるものであり、山頂の天主に信長が起居、その家族も本丸付近で生活し、家
 
臣は山腹あるいは城下の屋敷に居住していたとされる。1582年天正10年)、家臣明智光秀による信長への謀
 
反(本能寺の変)の後まもなくして何らかの原因によって焼失し、その後廃城となり、現在は石垣などの一部の
 
遺構を残すのみだが、当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した記録によって、焼失前の様
 
子をうかがい知ることができる。
 
滋賀県1989年(平成元年)から20年にわたって安土城の発掘調査を実施した。南山麓から本丸へ続く大手
 
道、通路に接して築造された伝羽柴秀吉邸や伝前田利家邸、天皇行幸を目的に建設したとみられる内裏
 
涼殿を模った本丸御殿などの当時の状況が明らかとなり、併せて石段・石垣が修復工事された。調査は当初予
 
定通り2008年(平成20年)度の予算をもって2009年に終了した。
 
良く晴れた秋の午後そんな安土城址を訪れた。入口で入場料を支払い、大手道に立つ。眼前に圧倒されるよう
 
な石段が続いている。右に目を向ければ伝前田利家邸跡、大手道を挟んで向かい合う場所には伝羽柴秀吉
 
跡が発掘整備されていた。