20秋の奥州路をゆく
青森ヒバのみを用いて、1986年(昭和61年)10月6日に落慶した宮城県初の五重塔が周囲の紅葉と池の面に映えて美しい姿を見せていた。 これで「20秋の奥州路をゆく」を終わります・・・
正面に平貞能公御廟(「貞能堂」「御廟」とも言う。貞能の墓所の上に建てられた旧御廟の鞘堂として1927年(昭和2年)に現御廟が完成)があり、御廟の左の裏山には天皇塚(連理の欅)がある。これは安徳天皇の冥福を祈って、遺品を埋めて墓標に2本のケヤキを…
翌日わたしどもは東北最後の日であり仙台の中心から西北に車で小一時間走ったところにある西方寺(さいほうじ)に出掛けた。西方寺は、宮城県仙台市青葉区大倉字上下(じょうげ)にある浄土宗の寺院。山号は極楽山。本尊は阿弥陀如来画像軸。観蓮社良念によ…
2007年(平成19年)と2008年(平成20年)は、水揚げ高で東北地方内第1位であった。2008年の水揚げ高はおよそ280億円だったが、2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う地盤沈下および津波によって大きな被害を受けた。沖合漁…
大理石の海触により奇岩が連続し、 半島の前田浜から沖合を見たとき、あたかも大きな釜の中でお湯が煮えたぎっているように見え、また、沖にある八幡岩が蓋のようにも見えることから「巨釜(おおがま)」と呼ばれている。巨釜には、高さ16m、幅3mの大理石の…
盛岡市内を散策したあと、盛岡駅から新幹線に乗車して仙台の娘宅に帰宅した。東北への旅は余すところあと二日となった。翌日は娘の運転で向かった先が唐桑半島であった。唐桑半島のある気仙沼市唐桑町は宮城県の最北東端に位置し、北西から南東に細長く三方…
盛岡は平安時代、桓武天皇の命により志波城が置かれ、律令制下となる。安土桃山時代に勢力を広げた南部氏が盛岡城を築いて以後、城下町として発達。明治以後は岩手県の県庁所在地となる。その面影を宿す古い町並みの風景・・・
盛岡城跡公園を出て、盛岡市の中心部に向かうと赤煉瓦の建物が目に入った。岩手銀行赤レンガ館である。1911年(明治44年)に盛岡銀行本店として完成。2012年まで100年余りにわたり銀行として使われたのち、2016年に多目的ホールおよび創建当時の館内の模様を…
盛岡の町に入り、盛岡駅前でレンタカーを返却し、駅の貸ロッカーに荷物を預けてからわたしどもは盛岡城跡公園に徒歩で向かった。 「盛岡城」は南部(盛岡)藩南部氏の居城である。西部を流れる北上川と南東部を流れる中津川の合流地、現在の盛岡市中心部にあ…
小岩井農場の風景・・・岩手山の雄姿に別れを告げてわたしどもは盛岡に向かった。
写真1~3 重要文化財に指定されている第一、二号サイロ、写真4 重要文化財の旧育牛部倉庫、写真8 二号牛舎
小岩井農場は 1890年(明治23年)11月1日に日本鉄道が東北本線を盛岡駅まで延伸開業した翌年の1891年(明治24年)、日本鉄道会社副社長の小野義眞(おのぎしん)、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり3名の姓の頭文字を採り…
一本桜に別れを告げ、小岩井農場のゲ-トに車を走らせた。農場に一歩入ると広大な東北の大地が広がっていた。岩手山の山頂が雲から顔を出して暖かく迎えてくれる。 この小岩井農場のある雫石という地名は東北の豊かな恵みを与えてくれる地名であると同時に、…
抱返り渓谷で渓谷美を堪能したあと、田沢湖に向かった。田沢湖(たざわこ)は、秋田県仙北市にある淡水湖で日本で最も深い湖であり、日本で19番目に広い湖沼であるという。 その全域が田沢湖抱返り県立自然公園に指定されており、日本百景にも選ばれている景…
回顧(みかえり)の滝は、抱返り渓谷を代表する滝で遊歩道から見ることができる。何度も振り返って見たくなるほど美しい、渓谷一番の名所である。渓谷入口から徒歩30分、遊歩道から滝に着く前に岩のトンネルがあり、通り抜けるとすぐ目に飛び込んでくる、落差3…
角館の町を後にしてわたしどもは田沢湖に向かった。その途中抱返り渓谷という景勝地に立ち寄った。秋田県仙北市にある抱返り渓谷は田沢湖抱返り県立自然公園に指定されており、東北の耶馬渓と称され、両岸の原生林と岸壁にかかる滝や独特の青い渓流がとても…
武家屋敷通りは穏やかな秋の日差しの中で静寂に満ちあふれ、町の西側に沿って流れる桧木内川の土手の桜並木はどこまでも続く。 わたしたちは角館の町を後にした・・・
上級武士のやみ造ることを許されたという江戸時代初期の「薬医門」、道路に面して、のぞき窓のついた黒塗りの「簓子塀(ささらこべい)」が続く。塀越しに樹齢何百年の巨木のモミの木や武家屋敷の通りをはじめ町内に約400本のシダレザクラが群生しており「シダ…
伝承保存されてきた数々の武器、土蔵のある広い敷地。150石ほどの石高の佐竹北家の組頭役を務めた青柳家・・・
石黒家の武家屋敷を出ると通りの人影は少し増えていた。しかし静かな武家屋敷通りである。次に入ったのが青柳家の屋敷である。立派な土蔵に圧倒され、中に入ると武具の陳列にまた圧倒される。青柳家二代目当主・藤右衛門がみちのくの地に移り住んでから四百…
戊辰戦争では久保田藩は新政府側に立ったことから、奥羽越列藩同盟に参加した周辺諸藩の侵攻を受けることとなった。1868年(明治元年)8月28日には列藩同盟側が角館の目前まで迫る。角館側は西国諸藩の応援を得て町の南を流れる玉川を盾に防戦し、二日間にわ…
東北新幹線角館駅の近くに宿をとったわたしどもは翌朝武家屋敷通りに向かった。角館は桜で有名であるが、この時期色づき始め桜木の中の武家屋敷通りは朝が早いこともあり人影も少なく、凛とした静かな雰囲気が広がっていた。角館(かくのだて)は、秋田県仙…
これから一段と美しく紅葉していくであろう弘前城を後にしてわたしどもは車を停めている津軽藩ねぷた村の駐車場に戻った。駐車場の案内看板を見てわたしは観光施設の名前にふと気がついた。「ねぷた」と「ねぶた」の違いである。わたしは「ねぷた」の読み方…
色づき始めた弘前城内堀の風景・・・
本丸内の仮天守台に移動した天守の最上階から眺めた岩木山の姿も美しい。天守の中では曳家技術の資料や建物を持ち上げるジャッキの現物が展示されていた。石垣修理全体の工事の完了は2023年に予定されているが、新たに天守基礎部分などの耐震補強工事が必要…
岩木山(いわきさん)を背景にした弘前城の天守はお馴染みのロケーションである。岩木山は青森県弘前市および西津軽郡鰺ヶ沢町に位置する火山である。標高は1625m、青森県の最高峰であり日本百名山に選定されている。その山容から津軽富士とも呼ばれている。
城のすぐそばにある「津軽藩ねぷた村」という観光施設の駐車場に車を停めて城のお堀端に沿ってしばらく歩き、北門口から城内に入った。周囲は弘前公園として美しく整備されており、公園の中に中堀、内堀があり、内堀の中の本丸に天守がある。本来は本丸の南…
仙台に住む娘夫婦が来春あたり転勤するかもしれないと聞き、そうなればもう仙台に来ることもないだろうと思い、紅葉にはまだ早い時期ではあつたが出かけることにした。過去何度か奥州路は訪れているが、今回は仙台から東北新幹線で新青森まで行き、駅前でレ…