京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

安土城址をゆく

安土城址の光と影

安土城址に見た光と影・・・ このページをもって「安土城址をゆく」を終わります。

百々橋の夕陽

安土城址入口の前に伸びる道路を西へ山裾に沿ってしばらく車を走らせたところに百々橋口があり、百々橋が ある。安土城への登り口、すなわち摠見寺への参道の石段が西日に赤く輝いていた。右手の安土城址と刻 まれた大きな碑も黄金色に輝いている。かつては…

仁王門から百々橋へ

摠見寺址から薄暗い石段を下ってゆくと仁王門の甍が見えてくる。 仁王門ー屋根は入母屋造り、本瓦葺きで、門内に安置されている金剛力士像も門と並んで重要文化財に指定 されている。金剛力士像の頭部内側には「応仁元年因幡院朝作」の造像銘が残されている…

摠見寺から仁王門へ

摠見寺址から眺める西の湖の眺めは素晴らしい。特に陽が西に傾いたこの時間帯は西の湖も周囲のヨシも金 色色に輝き出す。この摠見寺址からやや急な石段を下ってゆくと仁王門の甍が見えてくるのである。

天主閣址から摠見寺へ

天主閣址から石段を下り、織田信雄四代の供養塔を回って上ってきた道を途中から右手にとって摠見寺(そうけ んじ)址に向かう。 摠見寺(総見寺)ー天正年間に安土城築城に伴って、織田信長によって城郭内に建立された。開山は、織田一 族の岩倉城主主織田…

天主閣址その3

天主の礎石に午後の秋の陽が斜めに射し、爽やかな秋風が頬をよぎってゆく。そんな静寂に包まれた天主閣址 に佇んで、干拓地の水田を水面に置き換えて想像してみれば、信長が天主閣から眺めた風景にほぼ近いので はないか。まさに「兵どもの夢のあと」であろ…

天主閣址その2

天主閣址からの眺望。築城当時は満々と水をたたえた琵琶湖内湖(伊庭内湖、常楽湖)が安土山の麓から広 がっていたが、今は干拓地の田園風景が広がる・・・

天主閣址その1

天主閣跡への石段を上ると忽然と周囲が明るくなった。天主閣跡は背丈ほどの高さの石垣に囲まれ東西、南北 それぞれ約28mの台地、今は礎石が1,.2mおきに整然と並ぶだけであるが、この部分は天主の穴蔵(地階の部 分)にあたり、その上にさらに大きな天主が…

信長本廟から本丸跡へ

信長本廟から天主を支えていた石垣に沿ってさらに進むと広い平地にたどり着く。本丸跡である。「信長公記」に よればこの本丸の建物には天皇を招き入れる「御幸の間」があったと記載されている。その後の調査で慶長年 間に改修された京都御所内の天皇の住居…

信長本廟へ

上り難い石段をやや汗ばみながら次第に高度を稼いでゆく。時折振り返ると眼前に安土の平野が広がる。黒金 門の跡を抜けて天主跡西下の二の丸跡に着くと「織田信長本廟」と刻まれた石標が立っていた。信長本廟は羽 柴秀吉が天正11年(1583)2月信長公ゆかり…

羽柴秀吉邸跡から大手道を上る

羽柴秀吉邸跡から大手道の石段を上る。石段の段差が高く、上るのには少々やっかいな石段である。当時の日 本人は現代より身長も低く、また直垂を身に着けたような格好では何処までも続く石段を上りきるには大変な労 力だったに違いない。石段の所々には石仏…

城址の入口から大手道へ

安土城は、織田信長によって、現在の安土山に建造され、大型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つ など威容を誇った。建造当時は郭が琵琶湖に接していた。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メート ル。それまでの城にはない独創的な意匠で…