天主閣跡への石段を上ると忽然と周囲が明るくなった。天主閣跡は背丈ほどの高さの石垣に囲まれ東西、南北
それぞれ約28mの台地、今は礎石が1,.2mおきに整然と並ぶだけであるが、この部分は天主の穴蔵(地階の部
分)にあたり、その上にさらに大きな天主がそびえていた。五層七階(地上6階地下1階)の天主はイエズス会の
宣教師ルイス・フロイスによればヨーロッパにあるとは思えないほどの壮大さであったといい、高さ33mの木造高
層建築は当時わが国では初めてのものであった。内部は信長公の御用絵師、狩野永徳の豪壮な障壁画や装
飾を排していた。当時、安土山の周囲は四方を琵琶湖と沼で囲まれていたが今は大中の湖干拓地として田園が
広がっている。以前来たときは天主閣跡は周囲が深い樹木に囲まれていて田園を見ることはできなかったが、
その後樹木は伐採され視界が大きく広がり、秋の陽射しを浴びた田園風景を見ることができるようになった。