京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

吉野山をゆく

支笏湖初夏の風景その1

支笏湖(しこつこ)は、北海道千歳市にある淡水湖。支笏洞爺国立公園に属し、日本最北の不凍湖。4万年ほど前に形成された支笏カルデラに水が溜まったカルデラ湖である。「日本最北の不凍湖」であるが、これは温かい水が湖の深部に残存していて水面を暖めるた…

吉野山をゆく(名残りの吉野桜)

黒門をくぐって、麓の駐車場までのシャトルバスが待つ下千本までの最後の行程をゆく。陽は西に傾き、春の陽 射しが弱くなっても、それでも吉野の桜はまだ光り輝いていた・・・わたしは何度も振り返りつつ名残りを惜しみな がら最後の坂道を下っていったので…

吉野山をゆく(黒門をくぐって下千本へ)

人波が揺れる中千本の町並を下ってゆくと銅の鳥居(重要文化財)が見えてきた。高さ約7.5m、柱の周囲約3.3 m、すべて銅製。1348(正平3)年に高師直の兵火で焼失したあと、室町時代に再建されたものである。正しくは 発心門。山上ヶ岳までの間に発心・修行…

吉野山をゆく(中千本の町並と金峯山寺)

中千本の町並はまことに喧噪で大勢の観光客で混みあっていた。通りに並ぶいろいろな店をのぞくうち、町並み の向こうに大きな伽藍が見えてきた。金峯山寺(きんぷせんじ)である。境内に入ると護摩焚きの準備をしてい た。その正面にそびえるのが金峯山寺の…

吉野山をゆく(吉水神社からの眺望)

吉水神社前の展望台からの眺望。「一回千本」の看板が掲げられていた。

吉野山をゆく(中千本吉水神社)

吉水神社 旧社格は村社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとなっている。 もとは金峯山寺の僧坊・吉水院(きっすいいん)だったが、明治維新の神仏分離(廃仏毀釈)により、神社となっ た。後醍醐天皇を主祭神とし、併せて南朝方の忠臣であった楠…

吉野山をゆく(中千本の賑わい)

上千本からさらに下って中千本の町に入る。来たときに駐車場で乗ったシャトルバスから奥千本へのバスに乗り 替えた所である。吉野詣での参詣客が宿泊する旅館や漢方薬を売る老舗や土産店、飲食店が数多く軒を並べ 山上とは思えない賑わいを見せていた。

吉野山をゆく(上千本)

大勢の人々が桜を楽しむ上千本の風景・・・

吉野山をゆく(上千本からの眺望その2)

桃源郷という言葉がある。桃の花が咲き乱れた楽園のことをいう。桃ではないがこの上千本からの眺めはまさに 桃源郷である。

吉野山をゆく(上千本からの眺望その1)

吉野水分神社からさらに下ったところにある展望台から眺めた中千本に広がった、まさに千本の桜じゅうたん。 写真で何度も見たお馴染みの風景であるが、こうして実際に眺めてみるとその美しさと壮大さに感動してしまっ た。吉野の千本桜いま盛ん。写真でこの…

吉野山をゆく(吉野水分神社 よしのみまくりじんじゃ)

奥千本から下ってくると大きな鳥居が目に入ってきた。吉野水分神社である。水の分配を司どる神様で、安産や 子育てにご利益があると古くから信仰を集めている。水分とは水配り(みずくばり)を意味し、水の分配を司どる 神様を祭る。延喜式にも名を連ねた古…

吉野山をゆく(奥千本)

中千本からバスに乗って上千本を通って奥千本に向かう。奥千本は標高約765mあり、吉野山の最高峰で、ここ には吉野山の自主神を祭る神社「金峯神社」がある。金峯神社は2004年に世界遺産に登録されている。金峯神 社の鳥居のそばには枝垂れ桜があるが、標高…

吉野山をゆく(中千本竹林院)

寺伝によれば、聖徳太子が開創して椿山寺と号し、その後弘仁年間(810年~824年)空海が入り常泉寺と称し たという。1385年(至徳2年/元中2年)に竹林院と改められた。戦国時代の院主尊祐は弓道に優れ一派をなし た。明治初年の神仏分離に伴い1874年(明治7…

吉野山をゆく(中千本)

中千本の賑わいの風景・・・桜を楽しむ一方で地元特産品の買い物にも熱が入る人々の人影が揺れる。

吉野山をゆく(中千本桜本坊)

ようやく永年の夢がかなって世界遺産である吉野山に出かけることが出来た。滋賀県に住む者にとってどうにも 吉野の山は山深い印象が強く、地理的に遠い存在だったのである。それに桜のシーズンは車の渋滞が凄いと 聞いていたのもなおさら吉野ゆきをおっくう…