京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

街道をゆく

東海道関蝉丸神社上社その2

急峻な崖に張り付くようにして鎮座する関蝉丸神社。直ぐ近くを名神高速道路の高架橋が走る・・・

東海道関蝉丸神社上社その1

関蝉丸神社下社の前の国道161号線(西近江路)を京都方面に進むと国道1号線に繋がり、さらに進むと名神高 速道路の高架が見えてき、高架の下をくぐるとすぐ右手に現れたのが関蝉丸神社上社である。この1号線をもう しばらく走るとすでに紹介済の蝉丸神社の…

東海道関蝉丸神社下社その2

国道と鉄道の向こうに鎮座する神社、国道の自動車の走行音と線路の踏切の警笛と電車の通行音、静寂とは 縁遠い神社のたたずまいである。

東海道関蝉丸神社下社その1

前回「東海道逢坂山関址その3」蝉丸神社のページで「蝉丸を祀った神社はこの神社を含めて3か所ある。逢坂 の関址から国道一号線を大津に向かって行った名神高速道路の高架橋あたりにあるのが「関蝉丸神社上社」 で、さらに国道一号線から分かれた国道161号…

東海道逢坂山関址その3

鰻屋かねよの前を過ぎて東海道を京に向かったすぐのところにある神社は「蝉丸神社」という。 「これやこの 行くも帰るも別れては しるもしらぬも あふさかの関」 百人一首に出てくる蝉丸の歌である。蝉丸は、実在すら不明の伝説上の人物である。世阿弥作とさ…

東海道逢坂山関址その2

逢坂の関址から続く旧東海道の町並みはかつての東海道の面影を残している。「かねよ」の料理屋は明治5年 創業の鰻屋の老舗として有名。

東海道逢坂山関址その1

滋賀県大津市大谷町の国道1号線(旧東海道)沿いの逢坂山検問所(京阪京津線大谷駅の東)脇に「逢坂山関 址」という碑が建てられている。逢坂関(おうさかのせき)は、山城国と近江国の国境となっていた関所で東海道 と東山道(後の中山道)の2本が逢坂関を…

中山道 篠原宿

野洲市大篠原に国道8号線と並行して走る旧中山道は街道の面影を今に残している。古代に造られた日本の幹 線道路、東山道には篠原に駅屋(うまや)が置かれ、15頭の馬が配備されて篠原駅として宿場とともに栄えたと いう。鎌倉時代頃から篠原宿は衰え、宿場は…

中山道 関ヶ原宿

関ヶ原宿は中山道58番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は岐阜県不破郡関ケ原町。付近は壬申の乱・ 関ヶ原の戦いの舞台であり、関連の史跡が多い。中山道と交わる北国脇往還と伊勢街道の分岐点にあたる 関ヶ原宿は、美濃十六宿の中で最も賑わった宿場であ…

中山道醒井宿

滋賀県米原市醒井にある中山道61番目の宿場。古代からの交通の要衝であり、『日本書紀』の日本武尊伝説に 登場する「居醒泉」(いさめがい)が醒井の地名の由来であるといわれる。豊富な湧き水があったことが、旅人の 休憩場所として最適の条件であったこと…

中山道柏原宿その3

柏原宿の入り口に立つ火の見櫓が時代を超えた世界に誘う・・・

中山道柏原宿その2

静かな柏原宿のたたずまい。町角に立って目をつぶると、往来を行きかう旅人たち、飛脚や駕籠かきの声、馬の いななき、旅人を呼び込む旅籠の者の掛け声といった、かつての宿場町の喧噪さと繁昌さが時代劇映画のワン シーンのように瞼に浮かびあがってくる。…

中山道柏原宿その1

徳源院枝垂れ桜を見たあと近くの中山道柏原宿を訪ねた。 柏原宿は中山道60番目の宿場(中山道六十九次)で、現在は滋賀県米原市。『太平記』にすでに記載されてい る中世以来の宿場。艾(もぐさ)が特産品で、最盛時には10軒以上の艾屋があったという。天保1…

秋の鯖(若狭)街道をゆく 朽木小入谷その2

秋深まる朽木の山と渓谷・・・

秋の鯖(若狭)街道をゆく 朽木小入谷その1

鯖(若狭)街道をもうしばらく北上し、県道783号線を左に折れて深い山道に車を走らせると、高島市朽木小入谷 あたりに達する。標高776メートルの三国岳で京都府に接する深い山の中であるが、また秋の風情をたっぷり味 あわせてくれる場所でもある。

秋の鯖(若狭)街道をゆく 葛川坊村その5

囲炉裏に鍋などを吊るす自在鉤や魚の形をした横木等は長年の煤に真っ黒となって黒光りを放ち、薪の燃える 音が静かに流れる里の秋・・・

秋の鯖(若狭)街道をゆく 葛川坊村その4

かや葺の家の内部は大きな囲炉裏が切られていて、囲炉裏の上に干し柿が吊るされていた。囲炉裏から昇る煙 で燻されて柿は干し柿になる。天井の梁も天井に張られたヨシもそして柱も、長年囲炉裏から昇る煙で真っ黒に す煤け、この家の歴史を物語っていた。お…

秋の鯖(若狭)街道をゆく 葛川坊村その3

駐車場に戻って近くにある「葛川かや葺の家」を訪れる。この坊村には昔から何度も来ており、かや葺の家の存 在は知ってはいたが個人の住いと思い、近づきもしていなかったが、傍に行ってみると迂闊にも「葛川かや葺の 家」として、内部を公開(無料)してい…

秋の鯖(若狭)街道をゆく 葛川坊村その2

明王院(みょうおういん) 天台宗の寺院。山号は北嶺山(安曇山とも)。本尊は千手観音。近畿三十六不動尊二 十七番。開基(創立者)は相応和尚(そうおうかしょう)である。地名を冠して葛川明王院(かつらがわみょうおうい ん)と称されることが多く、息障…

秋の鯖(若狭)街道をゆく 葛川坊村その1

花折峠のトンネルを抜けて、秋深まる鯖街道を北上、10分ほどで葛川(かつらがわ)市民センターの駐車場に到着。ここらは大津市葛川坊村町といい、渓谷を貫く安曇川が京都市左京区北東部、丹波高地の百井峠(国道477号が通る)近くに発し、ほどなく滋賀県に入…

秋の鯖(若狭)街道をゆく 花折峠

鯖(若狭)街道のかつての難所、花折峠は現在は花折トンネルが京都から若狭まで連綿と続く山塊の一部を貫 き難所といえないまでも、トンネルを抜けた途端、車窓に飛び込んでくる山塊の眺めは、やはり難所といってい い。花折峠は安曇川と和邇川の分水嶺とな…

若狭街道(鯖街道)熊川宿その3

近年整備されて美しい景観となった熊川宿。

若狭街道(鯖街道)熊川宿その2

閑散とした、だが静かで穏やかな時が流れる宿場町の昼下がりの風景・・・

若狭街道(鯖街道)熊川宿その1

若狭街道・鯖街道は若狭湾)-小浜[おばま]-遠敷[おにゅう]-熊川[くまがわ]宿-<水坂[みさか]峠>-保坂 [ほうざか]-朽木[くつき]宿-葛川[かつらがわ]-<花折[はなおれ]峠>-<途中越>-大原-八瀬-出町柳 -大原口(京都)の全長約71km。若狭街道は海…

中山道武佐宿

中山道は古代東山道を継ぐ道筋で江戸時代には五街道の一つに数えられていた。近江路には柏原から草津ま での9つの宿場があり近江八幡市には武佐宿がある。この地は、武佐宿を起点に伊勢に向かう八風街道(八日 市・永源寺を通り八風峠を越え伊勢へとつなが…

旧東海道横田の渡し

水口宿を立って野洲川を左に見ながら東海道を進むと川幅が狭くなる場所がある。この辺りは横田川と呼ば れ、横田の渡しという。ここから渡し船で野洲川(横田川)渡って対岸に出、水口宿に向かうこととなる。横田の渡 しは「東海道十三渡し」の一つで、この…

東海道草津宿の春

東海道と中山道の分岐点となる草津宿。草津宿本陣に残された宿帳には歴史上の人物の名前も残されてい る。草津宿にある東海道と中山道との分岐点を「追分」といい、そこに立てられている道標を「追分道標」ー最後 の写真ーという。その道標の後ろが天井川の…

東海道亀山城址

亀山城は伊勢国鈴鹿郡亀山(現在の三重県亀山市本丸町)にあった城。丘陵の上に建ち、白壁の櫓・門・土塀 などを連ねる景観が蝶の群れとなって舞う姿にたとえられ、別名を粉蝶城(こちょうじょう、ふんちょうじょう)とも 呼ばれた優美な城であったという。…

東海道亀山宿

関宿の次の宿場町、亀山宿は東海道五十三次の46番目の宿場である。現在は三重県亀山市。亀山は宿場町 であるとともに亀山城の城下町でもありそのため、見通 しのきかない曲がりくねった複雑な道や坂道が多く、城 下町らしい特徴的な町並みとなっていた。宿…

東海道関宿その3

この時期関宿では、2月から3月にかけて1か月間それぞれの町屋が代々受け継いできた雛人形を展示するイ ベントが行われる華やかな季節でもある。関宿夏祭り(7月下旬)に使われる山車の模型とそれを曳く引手たち の人形も展示されていた。いずれもかつての東…