京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

初夏の奥州路をゆく

山寺(立石寺)をゆくその12

感動と想いに浸りながら山を下りる・・・参道に立って見送ってくれる地蔵たち・・・ まさに「閑さや岩にしみ入る蝉の声」である・・・ これで「初夏の奥州路をゆく」を終わります・・・

山寺(立石寺)をゆくその11

五大堂から降りて来た参道から見上げると、狭い岩壁の上に張り付いたように建つ納経堂、開山堂そして五大堂の姿が目に入った。まるで雪舟の水墨画のように静かにたたずんでいた・・・

山寺(立石寺)をゆくその10

五大堂からの眺望の素晴らしさにしばし時を忘れる・・・

山寺(立石寺)をゆくその9

納経堂の右下にある建物が開山堂、 立石寺を開いた慈覚大師のお堂で、大師の木造の尊像が安置されており、山内の僧侶が朝夕、食飯と香を供えてお勤めをしているという。開山堂の前の石段を登ると頭上の建物は五大堂といい、五大明王を祀って天下泰平を祈る道…

山寺(立石寺)をゆくその8

開山堂と五大堂に向かう。明るく開けた遠景の中、岩の上に建つ赤いお堂が目に留まった。写経を納める納経堂で、山内で最も古い建物である。県指定文化財で、昭和62年に解体修理がおこなわれている。その真下に、慈覚大師が眠る入定窟がある。

山寺(立石寺)をゆくその7

奥之院、大仏殿に参拝して塔中支院の一つである華蔵院の前を通り、重要文化財に指定されている三重小塔があった。三重小塔は永正10年(1513)に製作が開始され永正16年(1519)に竣工された。製作者は山寺立石寺の支院である華蔵院の当時の住職静運が発願し十穀…

山寺(立石寺)をゆくその6

仁王門をくぐって石段を登ってゆくと辺りが明るくなり視界が開けてきた。江戸時代までは12の塔中支院(塔頭)があり、多くの僧が修行に励んでいた。今は性相院・金乗院・中性院・華蔵院の4つの院が、その面影を残している(写真は性相院)。それら4つの院…

山寺(立石寺)をゆくその5

百丈岩を見上げながらさらに登ると案内板が目に入ってきた。「せみ塚」の案内板である。せみ塚は案内板によると「松尾芭蕉のおくのほそ道の紀行文に山形領に立石寺という山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地なり。一見すべきよし、人々の勧むるに…

山寺(立石寺)をゆくその4

さらに参道を登ってゆくと左上方にそびえる岩壁が見えてきた。百丈岩という。この岩壁のうえに納経堂や開山堂、展望随一の五大堂がたっている。

山寺(立石寺)をゆくその3

山門で入山料を払い参道の石段を登る。お山の自然にそってつくられたこの参道は、昔からの修行者の道。一番せまいところは約14センチの四寸道で、開山・慈覚大師の足跡をふんで私たちの先祖も子孫も登るところから、親子道とも子孫道ともいわれる。 参道の両…

山寺(立石寺)をゆくその2

根本中堂をお詣りして右にしばらく進むと松尾芭蕉のあの有名な俳句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句碑が建っていた。元禄2年(1689)、おくのほそ道をたどり、今の7月13日に山寺を訪れた松尾芭蕉の句で、門人たちが嘉永6年(1853)に建てた句碑である。その参道…

山寺(立石寺)をゆくその1

娘との一泊二日の旅行を終えて仙台の娘の家で旅の疲れを癒した翌日、わたしは娘と山形県山形市の立石寺(通称山寺)へのドライブを楽しんだ。 立石寺(りっしゃくじ)は、山形県山形市にある天台宗の寺院。山寺(やまでら)の通称で知られ、古くは「りゅうし…

竜飛崎へその5

竜飛崎展望台からの帰路、岬の崖下の海岸に小さな漁港があった。竜飛漁港という。漁港までの海岸に敷かれた防波堤が冬季の波の激しさを示している。だが初夏の今は穏やかな波が防波堤を洗っていた。近くに太宰治の文学碑が建てられていた。 『ここは本州の袋…

竜飛崎へその4

津軽海峡から反対側に目を転ずると津軽半島の根っこにある山々が目に飛び込んできた。雄大な光景に感動する。風力発電の大きな羽に、厳寒の冬季、津軽海峡を吹き渡ってくるすさまじい風の凄さを想像する。アジサイも美しく咲いていた・・・

竜飛崎へその3

日本の灯台50選にも選ばれている竜飛崎灯台、眼前に津軽海峡が横たわり、その向こうに北海道の陸地がかすかに見える。本州と北海道をわずか20キロで隔てる津軽海峡、岬の最先端には防衛省のレーダー基地がある。かつて同レーダー基地には旧陸軍の津軽要塞や…

竜飛崎へその2

竜飛崎からの絶景・・・

竜飛崎へその1

いよいよわたしどもの旅も最終地に向かった。竜飛崎である。三内丸山遺跡から70キロ強、二時間あまりのドライブで、津軽半島の国道280号線を北上する。右手の車窓には陸奥湾が広がっていた。 竜飛崎は、青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩龍浜にある、津軽半島の最…

三内丸山遺跡その3

大型竪穴建物(復元)と内部、縄文時遊館という常設館には多くの土器や勾玉等の出土品が展示されていた。

三内丸山遺跡その2

わたしがこの「三内丸山遺跡」の名前を初めて目にしたのは司馬遼太郎氏の「街道をゆく41・北のまほろば」であった。この本の中の「翡翠の好み」で司馬遼太郎氏はこう書いている。 この県は宏大である。そういうわけで、この紀行は、長くなりそうである。まだ…

三内丸山遺跡その1

八甲田山の雄大な大自然の風景を脳裏に刻み、わたしどもは次の訪問地「三内丸山遺跡」に向かった。当初八甲田山の次は竜飛岬に行く予定であったが、その前に何処か立ち寄る先はないものかと地図で、竜飛岬までのルートを追っていたところ、この「三内丸山遺…

八甲田山その4

目の前に広がった沼は高地で形成される池塘(ちとうー湿原の泥炭層にできる池沼。 高 層湿原が形成される過程において、堆積した泥炭層の隙間が水で涵養された部分を指す)である。田茂萢湿原の彼方に広がる毛無岱湿原、そして雲を被った大岳・・・雄大 な景…

八甲田山その3

山頂公園駅のある田茂萢(たもやち)岳。駅の下に広がる小さな湿原、田茂萢湿原に遊歩道が整備されている。遊歩道の散策コースには60分と30分のコースがあるが30分のコースを散策した。大自然の中の散策をしばらく楽しんでいると小さな沼が見えてきた。

八甲田山その2

山頂公園駅の展望台から見える山塊は左から赤倉岳、井戸岳そして八甲田山の最高峰である大岳(1,585m)で る。後方から大岳に架かってきた白雲は次から次へとこちら側の山麓に降るようにして下りてきて、そして消えて ゆく。雲が消えてゆく山麓には毛無岱(…

八甲田山その1

十和田湖から八甲田山の八甲田ロープウェイ山麓駅まで40キロ、一時間の行程。9時過ぎに山麓駅に到着し た。時間が早いからまだ観光客も少ない。駅の中に八甲田山を舞台にした映画「八甲田山」のスチール写真の コーナーがあった。映画の原作は、若いころ傾倒…

十和田湖から八甲田山へ

翌朝、十和田湖はまだ眠ったように静かなたたずまいを見せていた。これから八甲田山に向かう・・・

十和田湖にてその6

展望台からの眺望を満喫してホテルに戻った。部屋で旅装を解いて夕食までの間、ホテルの裏に広がる湖畔を 散策した。湖畔に何か立て看板が見える。近づいてみると十和田湖に流れ込む小川を境界にした秋田県と青森 県の表示看板であった。小川を渡って秋田県…

十和田湖にてその5

至福の時はまたたく間に過ぎる。カフェを出て湖畔を少し散策した後、十和田湖を一望できる発荷峠展望台に向 かった。展望台からは十和田湖に突き出したように横たわる中山半島が手に取るような鮮やかさで見えていた。 半島の付け根にある遊覧船発着場から船…

十和田湖にてその4

遊覧船を降りて近くのカフェで、青森産のリンゴを使った手作りのアップルパイを食べながら、傾きつつある陽に 輝く湖面に至福の時を過ごす・・・

十和田湖にてその3

地層が露わになった赤茶けた壁の荒々しさもカルデラ湖にふさわしい景観だ。

十和田湖にてその2

船着場から遊覧船に乗った。50分の遊覧である。船は鏡のような静かな湖面を進む。切り立った壁が屏風のよ うに取り囲むカルデラ湖特有の景観が美しい。