京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

支笏湖初夏の風景その1

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苔の洞門」をあとに再び支笏湖の周回道路に戻って、支笏湖を半周ほど時計まわりと逆に走り、支笏湖温泉の
 
駐車場に到着した。残念ながら天候は曇りで、周囲の山々は雲が架かっていたが視界は悪くない。風はなく、湖
 
面は穏やかに広がっていた。湖岸は公園として整備され、観光船やボートの船着場があるがウイークデーのこ
 
の日湖岸は静まり返り、時折小グループの観光客のざわめきが聞こえてくる。天気であれば右手に恵庭岳が見
 
え、左手に風不死岳(ふっぷしだけ)が眺望できるが山々は雲に閉ざされていた。しばらく散策すると場違いな鉄
 
橋が見えてきた。支笏湖から唯一の流出川である千歳川の源流部に架けられた山線鉄橋と称される、北海道
 
に現存する現役最古の橋として、ここに移築復元された鉄橋という。(明治32年北海道官設鉄道上川線「現在の
 
JR函館本線」の砂川~妹背牛間にある空知川に架けられていて、当時は「第一空知川橋梁」という名の鉄道橋
 
として使われていたという。今は歩道橋として使用されている山線鉄橋の橋の上から下流方向を眺めてみると、
 
澄み切った豊かて清らかな千歳川の流れがゆったりと流れていた。
 
支笏湖(しこつこ)は、北海道千歳市にある淡水湖支笏洞爺国立公園に属し、日本最北の不凍湖。4万年ほど
 
前に形成された支笏カルデラに水が溜まったカルデラ湖である。形成当初の形状は円形であったが、カルデラ
 
の縁に恵庭岳風不死岳が噴出したことにより、現在のようなくびれた形となった。「日本最北の不凍湖」である
 
が、これは温かい水が湖の深部に残存していて水面を暖めるため、湖面の水温が下がりにくいので凍りにくく
 
なっているためである。しかし、低温の日が続いた場合には結氷することがある。最近の全面結氷は2001年(平
 
成13年)で、その前は1978年(昭和53年)まで遡る。また支笏湖は、透明度の高さで有名な摩周湖バイカル湖
 
に匹敵する透明度を有している。環境省の湖沼水質調査では何度も日本一に認定されている。湖の名前はアイ
 
ヌ語の「シ・コッ」(大きな窪地)に由来しているが、この「窪地」とは支笏湖を水源とする千歳川が開削した深い谷
 
のことを指していたものであり、千歳川の旧名でもあった。松前藩は現在の苫小牧市周辺までの地域を「志古
 
津」(当時の漢字表記)と呼んでいた。アイヌ民族支笏湖を「シコツ川(千歳川)の水源の湖」の意で「シコツ・
 
トー」と呼び、湖の周囲は約40km、最大水深363m、平均水深265mである。国内では秋田県田沢湖に次いで
 
日本で2番目の深度となっている。面積は琵琶湖の1/9程(国内では8番目の大きさ)だが最大水深は3倍以上も
 
あり、貯水量は20.90km3は国内では琵琶湖に次いで日本で2番目に多い貯水量となっており、琵琶湖の貯水量
 
3/4にまで達する。カルデラ湖としても屈斜路湖に次いで日本で2番目に大きいカルデラ湖である。湖の北側に
 
はいずれも活火山である、恵庭岳、南側には風不死岳樽前山の支笏三山がそびえる。また、モラップ・キムン
 
モラップなどの低い山々にも囲まれている。改まった場合には「シコテムコ・エアン・パラト」(シコツ川の・水源・そ
 
こに・ある・広い湖)と称えていたという。