京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

長州路をゆく

萩 萩城城下町その3

かつて城下町の商いの中心地だった商家の立ち並ぶ町人地。往時の賑わいを彷彿とさせる町並みである。 これで「長州路をゆく」を終わります・・・

萩 萩城城下町その2

城下町を散策しているとなにやら右手方向の上空が明るい。その明るさに惹かれて歩いてゆくと、古い土塀の間 の視界が突然開き、眼前に穏やかな波が寄せる砂浜が広がっていた。菊ヶ浜である。左手には指月山がゆった りとその姿を見せていた。城下町の風情が…

萩 萩城城下町その1

野山獄跡を後にして萩の城下町をゆく。町を西に向かってゆくと城の外堀があり、「北の総門」が見えてくる。こ の門をくぐると上級武士が住んでいた城下町となる。長屋門や物見矢倉等江戸中期の代表的な武家屋敷長屋 の様式を残しており、土塀や格子出窓等に…

萩 明倫館跡・野山獄跡・岩倉獄跡

この「長州をゆく」もそろそろ終盤にかかっている。この日の午後新山口駅から新幹線に乗って帰らねばならな い。高杉晋作の誕生地から観光地図を追いながら、先ず明倫館跡に向かった。明倫館(めいりんかん)は、長州 藩の藩校。水戸藩の弘道館、岡山藩の閑…

萩 高杉晋作誕生地

木戸孝允誕生地の近くにある高杉晋作誕生地。 高杉晋作 幕末の長州藩の志士。長州藩士高杉小忠太の子。号は東行。吉田松陰の松下村塾で久坂玄瑞と共 に双璧と称され、のち江戸の昌平黌に学ぶ。藩命により奇兵隊を組織し総監となり、四国連合艦隊の下関砲撃 …

萩 桂小五郎(木戸孝允)誕生地

吉田松陰の墓所からまだ農村の雰囲気の残る坂道を下り、松本川に架かった松本大橋を渡って萩市内に入り、 呉服町2丁目にある木戸 孝允 (桂 小五郎)の誕生地を訪れた。 木戸 孝允 / 桂 小五郎(天保4年6月26日(1833年8月11日) - 明治10年(1877年)5月26…

萩 吉田松陰の墓・誕生地その2

吉田松陰らの墓所は山裾を少し上った高台にあり、墓石が並ぶ松並木を抜けるそこからは萩の町並みやその 向こうの海に突き出た指月山がよく見える。指月山の麓に萩城があった。その風景を眺めるようにして吉田松陰 と、共に米国への密航を企てた愛弟子の金子…

萩 吉田松陰の墓・誕生地その1

東光寺から自動車道路に出てしばらく歩くと道路が二手に別れていて、右への道路の入り口に「吉田松陰之墓」 「高杉晋作之墓」と刻まれた石碑が建っていた。松林の中にある墓所には吉田松陰、実父杉百合之助の他久坂 玄瑞、玉木文之進、吉田利麿、高杉晋作ら…

萩 維新を訪ねてその3(毛利家菩提寺東光寺)

元治甲子殉難烈士墓所を過ぎて参道は直角に右に折れていた。参道を見やると深い木立の中を参道が続いて いて、その先の門の向こうが秋の陽にあかるく輝いていた。毛利家の廟所である。萩藩主3代(萩での藩主の代 数は輝元を初代とせず、秀就を初代として数え…

萩 維新を訪ねてその2(毛利家菩提寺東光寺)

玉木文之進旧宅を過ぎてさらにゆるやかな坂道を登ってゆくと朱色の山門が見えてきた。毛利家の菩提寺であ る東光寺である。東光寺(とうこうじ)は、黄檗宗の寺院で山号は護国山。本尊は釈迦牟尼仏。吉田松陰誕生地 近くの萩市大字椿東字椎原にあり、元禄4年…

萩 維新を訪ねてその1

前原一誠を中心とした萩の変の殉難碑 幕末池田屋事件で討ち死にした吉田利麿の誕生地 伊藤博文旧宅 伊藤博文別邸(東京から一部を移築 玉木文之進旧宅 松門神社のそばに新しい碑が建っていた。幕末池田屋事件で討ち死にした吉田利麿の誕生地の碑である。 吉…

萩 松陰神社と松門神社

松下村塾と松陰幽閉の旧宅は松陰神社の境内にある。というより松陰神社は松陰ゆかりの場所に建てられたと いっていい。松陰1890年(明治23年)、松陰の実家・杉家の邸内に松陰の実兄杉民治が土蔵造りの小祠を建 て、松陰の遺言により愛用していた赤間硯と松…

萩 吉田松陰幽閉の旧宅

松下村塾のすぐそばにある吉田松陰の実家、杉家の旧宅で当時よりここに建っていた。天保年間に建てられた といわれ、瀬能吉次郎の持家を借りて住んでいた。安政2年(1955)12月、萩城下の野山獄より出牢した吉田松 陰はこの邸内の3畳半の1室に幽囚される。こ…

萩 松下村塾

前日夕方萩の旅館に到着。ゆったりと萩の夜を過ごし、翌日いよいよこの旅の最後のコース。萩の町を散策し て、午後新幹線新山口の駅に向かい、帰郷する。旅の最後のコースというより萩の町の散策が今回の旅の大き な目的であった。萩の町は今NHKで放映中の「…

萩へー秋吉台秋の夕暮れ

秋芳洞を出ると陽はさらに傾いていた。時間に追われるようにして秋吉台に向かう。20分ほどで着いた秋吉台の 展望台から眺めた風景はまことに壮大であった。小高い丘には残照が赤く輝き、すすきの穂は秋風に揺れ、地 表に突き出た無数の石灰岩柱が影を落とし…

萩ー秋芳洞その2

地球のエネルギーがほとばしるような迫力が迫ってくる・・・

萩ー秋芳洞その1

秋吉台の秋芳洞に着いたのが午後4時過ぎ。秋の陽が西に傾き、もう少し早ければ観光客で混み合うだろう秋 芳洞への道もほとんど人影がなく、秋芳洞観光センターから徒歩400mで秋芳洞の正面入口(秋芳洞案内所)ま で足早に入口へと向かった。入場券の売り場…

萩へー角島秋景その2

陽がやや西に傾き、萩の町に行く前にもう一か所行かねばならない。名残惜しく秋の陽に輝く海を見ながら再び 角島大橋を渡り、本土側の橋の袂にある展望台から大橋にカメラを向けた。こちらからの眺めもまた雄大という ほかない。展望台でしばらく時を忘れて…

萩へー角島秋景その1

角島は、山口県下関市豊北町大字角島の日本海(響灘)上にある島。山口県の北西端。北長門海岸国定公園 に含まれる。牧崎と夢崎の2つの岬がウシの角のように突き出している様から角島と呼ばれた。 面積は4.1平方 キロ。本州とは海士ヶ瀬戸で隔てられていたが…

萩へー角島大橋の景観

青海島から約40キロ西方の下関市豊北町の油谷湾の西に浮かぶ島を角島(つのしま)という。その豊北町と角 島間の海士ヶ瀬戸に架かる橋を角島大橋と呼ぶ。角島大橋は1993年(平成5年)9月6日に着工し、2000年(平成 12年)11月3日に開通した。総工費149億円。…

萩へー青海島の景観

津和野の町を後にして国道9号線を走り、いったん萩の近くを通って長門市の青海島に向かった。車で二時間半 の行程である。青海島(おおみじま、おうみじま)は、山口県長門市の北、日本海に浮かぶ島である。面積14平 方キロメートル、周囲は約40キロメートル…

津和野ー太鼓谷稲成神社その2

津和野の町から城山の方向を眺めると、太鼓谷の峰に朱塗りの鳥居がぎっしりと並んだ参道が見える。信者か ら奉納された1,000本の鳥居がトンネルを作り、その中を 300mほど登ると太皷谷稲成神社がある。開運厄除の 守護神として、中国、四国、九州の全域に信…

津和野ー太鼓谷稲成神社その1

翌朝、旅館の部屋から眺めた津和野の川霧とJR山口線の線路。この線路の津和野と新山口間を土日祝日に一 日一往復、SL「やまぐち号」が煙と蒸気を吐きながらはやてのように走りぬける。 天気の良さに背を押されるように旅館を後にして津和野の町を見下ろす太…

津和野の町並みその2

「史跡と鯉の町」と、町から出ているパンフレットに書かれている。ついでながら津和野は市ではなく、町であ る。鯉の数のほうが人口より多いという。殿町とよばれる大身の武家屋敷のみぞにも鯉がむれている。町を 貫流する津和野川にも多い。ツグイもいる。…

津和野の町並みその1

西周の旧宅から町の中心に戻り、大きく西に傾いた落日の中、まだ明るさの残る町中を散策する。 津和野はまことに静かな城下町である。ここを治めていた津和野藩は戦国時代、大内氏、毛利氏に仕えていた 豪族の吉見氏が支配していた。そのため、関ヶ原の戦い…

津和野ー史跡西 周旧宅

津和野の町は津和野川が中央を流れる小さな盆地の底にある。陽が傾いて周囲の山々に残照の陽があたり明 るく照らしだされると、それにつれて底にある津和野の町は次第に陰ってゆく。森鴎外の旧宅と津和野川を挟ん で対岸にあるのが西周(にしあまね)の旧宅…

津和野ー史跡森鴎外旧宅

森鴎外記念館の隣に建つ国指定の史跡森鴎外旧宅は西周旧居と津和野川をへだてて向かいあっている。森家 は代々津和野藩の藩医で、50石どりの家柄であった。鴎外(林太郎)は文久2年(1862)1月19日この家で生ま れ、明治5年(1872)11歳で上京するまでここで…

津和野ー森鴎外記念館

森鴎外記念館ー小さな津和野の町中にある明治の文豪、森鴎外の記念館。旧宅の隣に建つ近代的な文学館 で、玄関のエントランスにある鴎外の胸像が来館者を迎えてくれる。明治陸軍軍医のトップである軍医総監に 上りつめる一方で、文学者として文筆活動を続け…

津和野ー乙女峠マリヤ聖堂(キリシタン殉教史跡)

午後3時ごろようやく津和野の町に入った。まず妻がぜひ行ってみたいという乙女峠マリア聖堂に向かった。カー ナビでようよう探し当て、駐車場から急な山道を登る。秋の陽が西に傾き、山影の陰影が濃くなる道を登りきると マリア聖堂の尖塔が視野に飛び込んで…

津和野へその4

聖湖の北方に広がる八幡高原の森の中にあるレストラン「ファームノラ」で昼食をとって一路津和野に向かう。