京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

鯖街道 朽木渓谷その3

朽木渓谷を穿つ安曇川は、京都府および滋賀県を流れる淀川水系の一級河川。流路延長52kmは、琵琶湖に流 入する河川では野洲川に次ぐ長さである。北東部、丹波高地の百井峠(国道477号が通る)近くに発し、ほどなく 滋賀県に入る。比良山地と丹波高地にはさ…

鯖街道 朽木渓谷その2

比良山系への西側からの登山口がある葛川坊村あたり。安曇川の西側にある朽木・葛川県立自然公園から眺 める安曇川の向こうの坊村の甍と後ろの山の杉と紅葉樹の彩が美しい。やや曇りがちの空の雲の切れ目から 突然秋の日差しが射して辺りの紅葉樹を明るく照…

鯖街道 朽木渓谷の秋その1

琵琶湖の西側には南北に走る比良山系がある。比良山系の東側、すなわち琵琶湖側は比良山系の山裾がなだ らかに広がっているが、西側は比良山系の最高峰武奈岳の山裾が、安曇川が穿って造った朽木渓谷に急激に 落ち込んでいて、美しい渓谷美を見せている。

鯖街道 花折峠の秋

紅葉で賑わう大原の里を抜けて国道367号線を北の山塊に向けて車を走らせる。京都府と滋賀県の県境にある 途中トンネルを抜けてさらに走ってゆくと次第に急カーブが続く山の登りにかかかってゆく。この道が有名な鯖街 道である。両側の山並みが迫り、見える…

里山シリーズ63 棚田の秋(大津市仰木の里)

静かな里山の秋・・・

清流園

二条城の北側にある清流園は江戸初期の角倉了以の屋敷から建物の一部と庭石約800個を譲り受け、これを もとに二条城にふさわしく雄大、明朗、風雅をモチーフに全国から集めた銘石300個と新たに茶室を加え、1965 年(昭和40年)に完成。庭は池泉回遊式の和風庭…

西橋と内堀

天守閣跡から眺めた内堀はさざなみ一つなく、鏡のように静かなたたずまいを見せていた。二条城の外堀、内堀 は大阪城のそれに較べてはるかにスケールが小さく、大阪城を建てた豊臣秀吉と二条城を建てた徳川家康の 人柄、とくに経済感覚の違いを際立たせてい…

天守閣跡

美しい本丸庭園を眺めながらしばらく歩くと天守閣跡に続く石段下に出る。見上げると石段の勾配はかなりきつ く、その先にかつて五層の天守閣がそびえていたことに思いを馳せれば、実に豪壮な眺めだったに違いない。 息をやや乱しながら石段を登る。天守閣跡…

本丸御殿

二の丸庭園を抜けると内堀に達する。内堀は本丸御殿をぐるりと取り囲んでいて、内堀に架けられた東橋を渡 り、本丸櫓門をくぐると本丸御殿のある本丸庭園に続く。本丸は1626年(寛永3年)三代将軍家光の命により増築 されたもので、もとは五層の天守閣が高…

二の丸庭園

二の丸御殿の前に広がる二の丸庭園。 二の丸庭園は古来からの造園術にしたがい、池の中央に蓬莱島、その左右に鶴亀の島を配した書院造庭園で 小堀遠州の作と伝えられる。

国宝二の丸御殿

大政奉還の様子を人形で再現している大広間 国宝二の丸御殿。 武家風書院造の大費用的な御殿建築で、遠侍(とうざむらい)、式台、大広間、蘇鉄の間、 黒書院、白書院の6棟が東南から西北にかけ雁行に並んでいる。建物面積は3,300平方メートル、部屋数は33…

大手門

鉄板と鋲で覆われた大手門。徳川家康が天下を取ってから建てられた城だから、これほどの防御はいらないと 思うのだが、まだ脆弱な幕府創成期であり、徳川幕府のゆるぎない権威を見せる必要があったのだろう。 だから権威の象徴ともいえる五層の天守閣は1750…

外堀と石垣

京都の観光地としてあまりにも有名なのが、ここ二条城である。幕末の一時期江戸の徳川幕府の体制がそっく り京都に移されたとき、この二条城が幕府の臨時政庁となり、将軍が京都に滞在した。徳川十四代将軍徳川家 茂がそうであり、幕府最後の将軍となった十…

里山シリーズ62 京都嵯峨越畑その2

地元の人にそばの花のことを聞いても分からないという。京都新聞に紹介されていたというと、ようやく三人目の 農作業中のお年寄りが場所を教えてくれた。だが小さなそば畑という。その場所に着いたら確かに小さな畑だっ た。だがそばの花はけなげにも懸命に…

里山シリーズ62 京都嵯峨越畑その1

京都新聞に京都嵯峨越畑でそばの花が満開との記事と写真が掲載されていたので出かけてみた。 嵯峨越畑は京都市右京区、愛宕山の西北の山裾の棚田が広がる田園地帯で西隣りは亀岡市である。京都市 北部の山塊地域にこんな山深いところがあることに驚かされる…