2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧
鶴ヶ城公園にある「茶室麟閣」が落ち着いたたたずまいを見せる。「茶室麟閣」は千利休の子・少庵が建てたと言 われる茶室である。豊臣秀吉の奥州仕置きによって天正18年(1590)蒲生氏郷が会津に入った(42万石のち92 万石)。氏郷は織田信長の娘婿であり、…
天守閣から眺めた会津若松市の眺めは実に美しい。 司馬遼太郎の小説に「王城の護衛者」という小説がある。 14代将軍徳川家茂の信頼厚かった京都守護職会津藩主松平容(かた)保(もり)の、守護職就任から薩長に敗れ て15代将軍徳川慶喜とともに江戸に逃れ、最後に…
天守閣の建物を支える石垣に造られた入口から入り、塩蔵として使われていた天守閣内唯一の遺構である階か ら階段を昇り五層の最上階にいたる。館内は戊辰150年の特別展を開催中であり残念ながら写真厳禁の由。
損傷した若松城(会津戦争後撮影)ーインターネットから 会津戦争で上記写真のようになった鶴ヶ城は1868年(明治元年)9月に新政府軍の手に渡され、翌年から兵部 省の所管となり、後に仙台鎮台が管理した。1869年(明治2年)、若松県庁が本丸内の建物に置か…
バス停を降りてしばらく歩き北出丸から城内に入ると会津若松城、別名鶴ヶ城の天守閣が目に飛び込んでき た。通路わきに立てられた幟旗で今年が戊辰の戦役から150年にあたることを知った。 難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の…
昨年の秋に長女がご亭主の転勤で静岡市から仙台市に転居したおかげで、静岡に続いて東北方面にも足場が 出来た。今月半ば、女房と長女の転居先を訪問しがてら、東北の秋を訪れたのである。 仙台空港に降り立ち、高速バスに乗って一路会津若松市に向かった。…