万石)。氏郷は織田信長の娘婿であり、器がおおきく勇猛な武将であるうえ、この時代を代表する文化人で、特
怒りに触れて死を命じられ、千家が茶の湯の世界から追放された折り、氏郷は利休の茶道が途絶えるのを惜し
4)と推定される「少庵召出状」が出され、少庵は京都に帰って千家を再興し、千家茶道は一子、宗旦(そうたん)
に引き継がれた。そののち宗左、宗室、宗守の3人の孫によって表、裏、武者小路の3千家が興され、今日の茶
道隆盛の基が築かれた。かくまわれている間、氏郷のために造ったと伝えられているのが「麟閣」であり、以
月、自宅へ移築し、以来百二十年にわたり、森川家はその保全に努めてきた。
城内の元の場所へ移築し今日に至っている。