さざえ堂から下った場所にある戸ノ口堰水神社内を流れる用水路は戸ノ口用水と呼ばれ、戸ノ口堰洞穴と呼ば
れる洞窟から豊富な水量が流れていた。
戸ノ口用水は、
猪苗代湖の水を
会津に引くため、江戸時代初期から江戸末期まで段階的に工事が行われた。
戸ノ口堰洞穴は、
会津若松に到達する最後の関門だった
飯盛山を掘り抜いた長さ150mの用水トンネル。もとも
と
飯盛山を迂回するルートがとられていたが、たびたび山の斜面崩落に悩まされ、
会津藩士・佐藤豊助らによっ
の失業者対策の意味もあったようだ。
戸ノ口堰洞穴は慶応4(1868)年8月23日、
戊辰戦争の戸ノ口原の戦いで敗走した白虎隊20名が抜け道として使
い、
会津若松の城下町が炎上しているのを見て、
鶴ヶ城落城と勘違いし自刃した。