会津若松市内に七日町通りという通りがある。毎月7の日に市が立ったところから名付けられた町で、現存する
大正時代の建物を中心に、蔵づくりの店や歴史を感じさせる洋館のたたずまいが、大正浪漫を感じさせるレトロ
な景観を形作っている。鶴ヶ城を後にしてその七日町通りに向かう。
ことは許されず放置されていた。幾度もの嘆願により、やっとその埋葬許可が下りたのは翌、明治2(1869)年の2
みせた。大正4(1915)年に72歳で往生を遂げた斎藤は、後半生を会津人として生きた彼の希望により、ここ阿弥
陀寺に葬られている。
阿弥陀寺は、慶長8年(1603)、蒲生秀行公から土地を賜った良然上人による開山が始まりとされている。だが由
緒あるこの寺院は、二度の火災で建物が焼失。戊辰戦争後、昭和30(1955)年に本堂を再建するまでの長い
間、取り壊しが決定した鶴ヶ城より払い下げられた御三階(ごさんかい)を、仮本堂として使用していた。その玄
東北の秋は暮れるのが早い。境内にたたずんでいるとたちまち夜の戸張が降りてきて、感傷に耽る間もなく暗
くなった境内を後にした。