京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

東山将軍塚を訪ねてその1

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                          清龍殿全景 清龍殿落慶記念HPから転載
 
将軍塚ー京都円山公園の東の華頂山頂、青蓮院の飛地境内である大日堂の境内にある直径13メートル。高さ
 
1.8メートルの円墳。奈良から長岡に都を移した桓武天皇は様々な事故に見舞われていたため、和気清麻呂
 
天皇をお誘いし、この山頂から京都盆地を見下ろし、ここが都の場所にふさわしいとの進言により、天皇はその
 
勧めに従って延暦13年(794年)、平安建都に着手。平安遷都に際し王城鎮護のため、2.4メートル余の土人形
 
鉄の甲冑を着せ、弓矢を持たせて埋めたことが「保元物語」「平家物語」などにある。また征夷大将軍坂上田村
 
麻呂ゆかりとする伝説もある。さらにこの「将軍塚」は、国家の大事があると鳴動したという伝説が、源平盛衰記
 
太平記に残されている。東山ドライブウェイ展望台駐車場すぐ。
 
将軍塚の青龍殿は青蓮院が北野天満宮前にあった「平安道場」(旧大日本武徳会京都支部武徳殿)を京都府
 
り譲り受け、飛地境内の将軍塚に移築、再建した建物。平安道場は大正3年竣工の大正天皇御大典記念に建
 
造された武道場で、老朽化により解体処分が決定していた。だがこの建物は現在では求めることのできない大
 
木の檜材を用い、京都府民の貴重な浄財によって建立され、また木造建築技術が頂点に達した頃に建てられた
 
木造文化財であることから、保存して後世に伝えるべきとのことから、移築再建して大護摩堂に活用することと
 
なり、解体した平安道場を東山山頂に運び移築工事開始を開始、昨年10月に落慶した。
 
青龍殿の背後に広がる舞台は清水寺の舞台の4.6倍という広大な木造展望台であり、1,046平方メートルにも及
 
ぶという。将軍塚には東山ドライブウェイが開通したときに作られた展望台があるが、京都の南と南西方面に向
 
けた展望台であり、この青龍殿の展望台は京都の北方向を一望出来、両展望台で京都全域をほぼ展望出来る
 
こととなった。桜がややほころび始めた3月下旬そんな将軍塚を訪れた。展望台駐車場からしばらく歩くと青蓮院
 
門跡の看板が架けられた山門が見え、境内に入ると大日堂の建物が目に入る。大日堂の受付で入場料を支払
 
い、建物の右側から裏に回ると、美しく広がる庭園の向こうに建つ、青龍殿が優しく迎えてくれた。