京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

15祇園祭

後祭 山鉾巡行エピローグ

花傘巡行の進行方向を逆行して南下して四条通りに出ると、折しも山鉾巡行の最後尾をゆく大船鉾に遭遇した から、そのまま大船鉾についてゆくことにした。わたしと同様後祭の山鉾巡行の最後を惜しむ人々がぞろぞろと 後をついてゆく。四条通りを西に進み、船…

後祭 花傘巡行その3

先斗町、祇園東の芸妓さんたち、可愛い鷺踊りの子供たち、そして万灯踊りの子供たちが続く・・・

後祭 花傘巡行その2

祇園囃子のお囃子に続いて、織商のミス着物たち、そして祇園甲部、宮川町の粋な芸妓さんたちが続く・・・

後祭 花傘巡行その1

後祭が前祭に統合されてから、後祭の日に始まった花傘巡行は後祭の山鉾巡行が復活した昨年からも引き続 き行われている。後祭のくじ改めの様子を見てから、御池通りから寺町通りを南に向かって歩いてゆくと、花傘 巡行の先頭に行きあたった。花傘巡行は八坂…

後祭 山鉾巡行その8

街路樹が夏の強い陽射しを和らげる御池通りに入った大船鉾はゆっくりと東に向かう。巡行に参加する山鉾は 京都市役所の近くに設けられた「くじ改め処」の前で止まる。くじ改めとは巡行の順番がくじ取り式で決まった順 番であるか奉行(京都市長)の確認を受…

後祭 山鉾巡行その7

次にやってきた大船鉾の辻回し。初めて経験した昨年の辻回しに比べ、今年の辻回しはスムーズに作業が進み 周囲から拍手喝采を浴びていた。

後祭 山鉾巡行その6

後祭の山鉾巡行は前祭の巡行とは正反対の時計回りに巡行する。すなわち前祭のとき、長刀鉾は雨の中を御 池通りから新町通りに左折したが、今日はその新町通りをやってきた山は御池通りに右折するのである。 巡行について行く人々をかき分けながら御池通りま…

後祭 山鉾巡行その5

南観音山に続いてゆっくりとやってきたのが大船鉾である。巡行に復帰した大船鉾は現在、「白木の鉾」である が、風雨に晒される白木の屋根、六本柱、勾欄の各部については、この先何百年にもわたって使用するにあた り、できるだけ早い時期に漆塗りを施す必…

後祭 山鉾巡行その4

引き続き南音山がやってくる。知人宅の2階からレンズを向ける。地上からのアングルではなく、山と同じ高さか らのアングルはまた新鮮な感じがする。

後祭 山鉾巡行その3

午前9時前、巡行の時間が近づくと新町通りの一番北にある北観音山が御池通りに向けて北上を開始。 「くじ取らず」で、後祭の巡行で橋弁慶山に次いで2番目を行く。真木の代わりに立てる松の木は、毎年鳴滝から 2本届けられ、南観音山と北観音山の代表がクジを…

後祭 山鉾巡行その2

南観音山を見てから新町通りを南に下り、四条通りを横断すると大船鉾の雄姿が見えてきた。幕末の禁門の変 の戦火で焼失、昨年の後祭の復活と同時に復元された鉾である。 大船鉾の始まりは、四条町では「祇園社記」の記事に基づき、嘉吉元年(1441年)の建立と…

後祭 山鉾巡行その1

激しい風雨の中での前祭山鉾巡行が行われてその一週間後、後祭の山鉾巡行が行われた。もともと祇園祭の 山鉾巡行は前祭と後祭に分かれて行われていたが、昭和41年からは観光事業推進の一環として、山鉾巡行は 17日の1日にまとめて行われてきた。それを本来の…

山鉾巡行その9

御池通りを東に向かうと雨の中を後続の函谷鉾や月鉾がやってくる。四条傘鉾の子供たちもそろいの傘を差し てやってくる。雨にも負けず山鉾巡行は続けられる・・・だがジリジリと太陽が照りつける夏空のもとでの巡行の 方が、やはり祇園祭らしくて似つかわし…

山鉾巡行その8

激しい雨の中で行われた最後の辻回しで長刀鉾は新町通りに対し方向転換を終え、周囲の拍手に見送られな がら粛々と狭い通りに入ってゆく。例年なら鉾の後をついてゆくのだがこの雨ではどうしようもなく、長刀鉾の後 ろ姿を見送りながら御池通りを東に向かっ…

山鉾巡行その7

雨足が弱まることはない。辻回しがいったん中断すると車方たちは再びあわただしく動き回り、割り竹を鉾を進め る方向に敷きつめ直した。鉾をさらに直角の方向に転換するのである。用意が整うと再び辻回しが開始された。 その音頭取と車方たちの一体感溢れる…

山鉾巡行その6

車輪が割り竹の上に乗ると音頭取が2人から4名になり、50人の曳子たちは新町通り側に移動、鉾の上に乗り込 んだ囃子方たちのテンポの速い鉦、笛、太鼓のお囃子が始まると音頭取は一糸乱れずに掛け声を掛け、身振り 激しく扇子を振り、曳子たちは一挙に曳き綱…

山鉾巡行その5

稚児が雨の中を朱傘に守られて姿を消すと、にわかに長刀鉾の周囲はあわただしくなった。これから車方が中 心となって辻回しが始まるのである。辻回しとは鉾の方向転換をいう。巡行の最終コースはこの広い御池通りか ら狭い新町通りに左折して四条通まで南下…

山鉾巡行その4

二人の禿(かむろ)が降り立つと周囲にざわめきが起こりいよいよ稚児が降りてくる。稚児は屈強の強力が肩に 担いで降りてくるのだが、担いでから正面に向いて立つと、その凛とした姿に周囲から割れんばかりの拍手と歓 声が起こった。山鉾巡行の最大のハイラ…

山鉾巡行その3

激しい雨の中に姿を現した長刀鉾。先きに大長刀をつけているのでこの名で呼ばれる。長刀は疫病邪悪をはら うものとして、もと三条小鍛冶宗近の作が用いられていたが、現在は大永二年(1522)三条長吉作の長刀を保存 し、複製品を鉾頭としている。この鉾は古…

山鉾巡行その2

激しく降り続く雨の中で待つこと一時間、ようやく巡行の先頭をゆく長刀鉾がその姿を見せた。曳き方たちも全員 ずぶ濡れである。屋根の上にいる屋根方も今日は命綱をつけている。風がさほどに強く吹いていないのが救い といえよう。長刀鉾に乗るお稚児さんに…

山鉾巡行その1

翌宵山の夜はさすがに雨が強く夜店も閉まっていて人出は少なかったという。明けて山鉾巡行日当日、台風は 兵庫県に上陸、巡行は実施されるとのことであり、さんざん迷った挙句出かけた。御池通り新町の角、すなわち 鉾が巡行を終了して新町通りを南下して各…

宵々山その4

夜店の風景、子供たちの瞳が輝いていた・・・

宵々山その3

四条傘鉾 綾傘鉾とともに古い鉾の形態を今に伝える傘鉾で、応仁の乱より以前の時代に起原がある。応仁 の乱や元治元年(1864)の大火で焼失を繰り返し、明治の初めの頃よりは巡行が途絶えていたが、町内の人々 の努力が報い、昭和63年(1988)より巡行が再開…

宵々山その2

写真上4枚月鉾、次2枚放下鉾、次2枚菊水鉾。

宵々山その1

山鉾巡行日(7月17日)の前夜を宵山といい、前々夜を宵々山という。例年宵々山は宵山より比較的空いていて ゆっくりと鉾町を回ることができるが、今年は巡行日当日と宵山に台風が最接近するという予報から、宵々山に どっと人が繰り出したことから、鉾町には…

神輿洗の神事その5

四条大橋での神輿洗に様子 (2010年7月10日撮影) 楼門の前に鎮座していた中御座の神輿は前後を松明に守られ、八坂神社を出て神輿洗のため四条通りを四条 大橋まで練り歩き、四条大橋で神輿の差し上げや差しまわしが行われた後に清めの儀式が行われる。

神輿洗の神事その4

半時間ほど過ぎ境内がほの暗くなる頃、道清の儀を終えた大松明が境内に到着。大松明の火は4本の松明に 移される。

神輿洗の神事その3

午後7時になると大松明が点火され、清の儀が始まる(清の儀とは大松明で神輿洗が通る道を清める儀式。境 内を一周した大松明は八坂神社を出て四条大橋の中央で、まわせ・まわせの掛け声と共に、大松明がまわされ て、お祓いをした後再び八坂神社に戻ってくる…

神輿洗の神事その2

中御座が楼門の外に出されると引き続き東御座と西御座の神輿が蔵から出され、本殿の前にある舞殿に向か う。担ぎ手たちの威勢のいい掛け声とともに両神輿が舞殿の狭い階段を傾きながら上ると、周囲から歓声と拍手 が起こり祭の雰囲気はさらに高まる。舞殿に…

神輿洗の神事その1

神輿洗とは、17日の神輿渡御にそなえ、神輿を清める儀式と飾り付けを行う神事。 時間になり境内に屈強な若者たちが大勢入ってくると祭の雰囲気は一挙に高まる。午後6時すぎに、神輿蔵出 の儀が始まる。最初に神輿洗の中御座の神輿が楼門の外に出される。