嵯峨あだし野念仏寺千灯供養
幻想の世界から念仏寺の石段を降りて愛宕街道に出るとまだしきもきらず人々はやってくる。愛宕街道も両側 の灯籠に照らし出されて美しい装いを見せている。イベント会場では子供たちが灯籠を手にしながら大人たちの 話を神妙に聞いていた。 ふと見上げると8…
賽の河原・・・
あだし野の一帯はすっかり暮れて闇が広がる。その闇の中にローソクの炎で浮かび上がる石仏たちと手を合わ せる人々の影。幻想的な雰囲気に人々は酔いしれる。
供養が済んで僧侶たちが西院の河原から出てゆくと、入れ替わりに大勢の人々がローソクを片手に入ってき て、思い思いの石仏の前でローソクに灯をつけて静かに手を合わせる。次第に石仏の間に見え隠れするローソ クの炎の数が増えてゆく・・・
供養の始まる時間まで地蔵堂の前で待つ人々。時間になると地蔵堂で供養の読経が流れ、周囲の人々は手を 合わせる。その後僧侶たちは西院の河原で無縁仏に対する供養を行う。読経の声が水のように石仏や石塔の 間にしみこむようにして静かに流れるのである。
夏の日差しが西の小倉山の端に傾くと、西院の河原は少し暗くなった。地蔵堂の提灯が次第に明るさを増す。 境内の受付で経板を納める善男善女のあたりをはばかるような小さな声が目立つほどに、境内の人の多さを感 じさせない静寂さが気持いい。数え切れない…
愛宕神社一之鳥居から愛宕街道を念仏寺まで下ってくると。供養の受付は5時半、供養開始は6時でまだ一時 間もあるのにすでに列が出来ていたので列に加わる。そうこうする内に添乗員に引率された団体さんがやってき た。団体のおばあさんに聞いたら、今朝早く…
昔ながらの風情を残す一之鳥居の前の「つたや」、鳥居をくぐったところにある「平野屋」。いずれも鮎茶屋として 江戸時代の創業。静かな晩夏の午後である。 平野屋の前では嵯峨美大の学生が灯篭の制作に汗を流していた。この先愛宕街道は愛宕念仏寺を経てト…
千灯供養の始まる時間までまだ時間はたっぷりある。念仏寺の石段下を過ぎてさらに足を運ぶ。愛宕神社の一 之鳥居が木立の間に見え隠れする。途中嵐山高雄パークウェイの陸橋が道路を跨いでいる。同パークウェイの 開通は昭和40年であるが、今だつたら環境破…
京都に生まれ育ったわたしはいつも「嵯峨」という言葉を聞くと郷愁を感じ、涙腺がじわっとなり鼻の奥がツーンと なるような感覚におそわれる。昔の嵯峨、特に奥嵯峨一帯は鄙びたところであった。野々宮神社を過ぎて直ぐ山 陰線の無人の踏切がある。踏板を渡…
奥嵯峨の小倉山の懐に抱かれたようにある「あだし野念仏寺」で毎年8月23、24日に行われる千灯供養。 「あだしの」は「化野」と記す。「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」とな り、この世に再び生まれ化る事や、…