の戦火で焼失、昨年の後祭の復活と同時に復元された鉾である。
大船鉾の始まりは、四条町では「祇園社記」の記事に基づき、嘉吉元年(1441年)の建立とされている。「康富記」
の記述から、応永29年(1422年)にはすでに存在したという説もある。いずれにしても応仁の乱以前からの古い歴
史を持っている。その応仁の乱(1467年)には他の山鉾とともに焼失、23年後の明応9年(1500年)に再興したと
いわれている。江戸時代に入り、次第に装飾が加えられ、囃子も加わって、「船鉾」と呼ばれるようになった。
再興された。現在残る懸装品や金幣はこの後に整えられたものであるという。しかし元治元年(1864年)の禁門の
変により木部など多くを焼失、以後は休み鉾となった。