京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

大文字送り火の日の法輪寺その1

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渡月橋を渡って少し左手に道を進むと法輪寺がある。十三詣りが有名で特に京都の人間にとっては馴染みの深

い寺である。私も十三詣りで来たことがあるし娘の時もお詣りした寺である。

法輪寺山号は智福山。宗派は真言宗五智教団に属する。虚空蔵法輪寺や嵯峨虚空蔵と通称される。名勝

の中腹に位置する。本尊の虚空蔵菩薩が、「嵯峨の虚空蔵さん(さがのこくうぞうさん)」として親しまれてい

る。奥州会津柳津円蔵寺伊勢朝熊山(あさまやま)の金剛證寺とともに「日本三大虚空蔵」と称される。古

くは、『今昔物語集』・『枕草子』・『平家物語』などにその名が見え、知恵、芸事の上達、また丑寅年生まれの守り

本尊として信仰を集める。また、十三詣りや針供養・うるし祖神の寺としても著名である。さらに、境内には、電

気・電波を守護する鎮守社である電電宮が祀られている。寺伝によれば、和銅6年(713年)、行基元明天皇

勅願により、五穀豊穣、産業の興隆を祈願する葛井寺(かどのいでら)として建立したとされる。その後、天長6年

829年)、空海の弟子にあたる道昌が、虚空蔵菩薩像を安置し、貞観10年(868年)、寺号を法輪寺と称したとい

う。室町時代応仁の乱により罹災し、江戸時代後陽成天皇により再建されるが、幕末元治元年(1864年)の

禁門の変により、再度罹災している。

電電宮(でんでんぐう)は、法輪寺鎮守社で、電気電波祖神として信仰されている神社である。雷の神であ

る電電明神を祀る明星社が鎮守社の一つとして作られた。古くから雷の神は田の神と同一視されたこともあり、

電電宮は住民から広く信仰されていた。しかし、禁門の変により、本堂などとともに焼失し、長く仮宮に鎮座した

ままとなっていた。昭和31年(1956年)、当時の近畿電波監理局長・平林金之助は、今後電波の利用が多くなる

ことから、電電明神を電気電波の祖神として祀り、併せて電気電波関連の研究先覚者や事業者の霊を顕彰す

べきであると主唱した。これに賛同した関西の電気電波関係者により明星社が再興され(ただし社殿は仮宮のま

まであった)、併せて法輪寺境内に電気電波関係者の霊を顕彰する電電塔が建てられた。電電塔には電気研究

者の代表としてエジソン、電波研究者の代表としてヘルツの銅製の肖像が掲げられている。昭和44年(1969年

大阪万博を記念して社殿が再建され、電電宮に改称した。昭和54年(1979年)1月に電電宮護持会(電電宮

びに電電塔奉賛会)が結成され、電電宮・電電塔の維持を行っている。今日では、電気・電波だけでなくコン

ピュータ関係者や電気通信事業者からも信仰を集めている。

自然現象として恐れられた雷とコンピューターが信仰で繋がっている興味深い神社である。そういえばエジソン

白熱電球のフィラメント材料を見つけるのに大変苦労し、ある日偶然机の上に あった竹の扇子を見つけ、そ

の竹をフイラメントに使ってみると、なんと200時間も灯ったという。それをきっかけにこの嵐山からもほど近い八

幡男山付近の竹が使われるようになった話も興味深い話である。