大内宿は、
会津城下と下野の国(しもつけのくに)(栃木県
日光市今市)を結ぶ全長130キロメートル(32里の区
間)の中で
会津城下から3番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町である。
会津西街道は関東側からの呼称で、
会津側からは下野街道(しもつけかいどう)あるいは南山通り(みなみやま
どおり)とも称されていた。、
会津藩主の18回に及ぶ江戸参勤と江戸廻米の輸送と、当時
会津藩と友好関係に
あった
米沢藩・
新発田藩なども頻繁に利用した重要路線であった。また、以前の記録では
天正18年(1590年)伊
達
政宗の小田原参陣、同年の
豊臣秀吉の奥羽仕置きに当宿場を通行した記録がある。
南
会津の山中にあり、全長約450mの往還の両側に、道に妻を向けた寄棟造の民家が建ち並ぶ。江戸時代には
会津西街道(別称:下野街道)の「半農半宿」の宿場であったが、現在でもその雰囲気をよく残し、田園の中の旧
街道沿いに茅葺き民家の街割りが整然と並ぶ。1981年(昭和56年)4月18日、国の重要伝統的建造物群保存地
区として選定された。旧宿場としては長野県の
妻籠宿および
奈良井宿に続いて全国で3番目の選定である。