2018-10-28 会津若松城(鶴ヶ城)その2 秋の奥州路をゆく #写真 損傷した若松城(会津戦争後撮影)ーインターネットから 会津戦争で上記写真のようになった鶴ヶ城は1868年(明治元年)9月に新政府軍の手に渡され、翌年から兵部 省の所管となり、後に仙台鎮台が管理した。1869年(明治2年)、若松県庁が本丸内の建物に置かれたため、若 松県が管理を委任されていたが、1874年(明治7年)には天守をはじめとする建造物は総て解体され、本丸に あった櫓の一つである「御三階」は1870年(明治3年)、阿弥陀寺(会津若松市七日町)に移築され、現存してい る。本丸は1960年(昭和35年)までには現在の形状に復旧された。現在の天守は1965年(昭和40年)に鉄筋コン クリート造により外観復興再建されたもので、内部は「若松城天守閣郷土博物館」として公開されている。 昭和城とはいいながら外観は昔の天守が忠実に再建されており、実に凛として気品溢るる天守である。