京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

天主閣址から摠見寺へ

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天主閣址から石段を下り、織田信雄四代の供養塔を回って上ってきた道を途中から右手にとって摠見寺(そうけ
 
んじ)址に向かう。
 
摠見寺(総見寺)ー年間に安土城築城に伴って、織田信長によって城郭内に建立された。開山は、織田
 
族の岩倉城主田信安の三男で禅僧剛可正仲とされているが、実際の創建時の住職尭照であったとい
 
われる。信長は近隣の社寺から多くの建物を移築し、建立した。具体的には、重要文化財に指定されている二
 
王門や三重塔などを挙げられる。江戸時代の寺領は227石5斗余りであった。ただし、檀家は持たなかった。18
 
世紀末の段階では仁王門、書院、方丈など22棟の建物があった。ただし、安政元年(1854年)11月16日、本堂
 
ど主要な建物のほとんどを焼失した。その後、徳川家康邸跡と伝えられる場所に仮本堂を建てた。明治維新
 
後、寺領の喪失などにより、衰退していった。江戸時代には同寺で天和元年(1681年)に信長の百回忌、享保16
 
年(1731年)に百五十回忌、天明元年(1781年)に二百回忌、天保3年(1832年)に二百五十回忌の法事が営ま
 
れている。現存する三重塔 は享徳3年(1454年)に建立。摠見寺創建時に甲賀長寿寺から移築された。