京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

角館の秋その2

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戊辰戦争では久保田藩は新政府側に立ったことから、奥羽越列藩同盟に参加した周辺諸藩の侵攻を受けることとなった。1868年(明治元年)8月28日には列藩同盟側が角館の目前まで迫る。角館側は西国諸藩の応援を得て町の南を流れる玉川を盾に防戦し、二日間にわたる攻撃を凌いだ。その後も戦局は好転せず、周辺の久保田藩側の拠点も次々と奪われ角館は次第に孤立、武器弾薬や生活物資の不足もはなはだしく、角館の放棄も取りざたされるほどであったが、9月17日-18日、東北諸藩が続々と新政府に降伏していくのを見た列藩同盟側が久保田藩領からの撤退を開始した。戊辰戦争では藩内各地が戦場となったが、角館は戦禍をまぬがれた。

武家屋敷通りにある立派な門構えの武家屋敷は佐竹北家の用人を勤めた石黒家で、家伝によると嘉永6年(1853年)に現在地に移転したとなっている。門を入ると起り破風に懸魚のついた正玄関と脇玄関があります。母屋は萱葺で庭に築山、巨石、樅の大木、東屋があり、武士の格式を示しながら、簡素なたたずまいを呈している。道路面にはのぞき窓を付けた黒板塀がめぐり角館に現存する6件の武家屋敷の中でも最も格式が高く母屋の築年数は最古であるという。