呉服町2丁目にある木戸 孝允 (桂 小五郎)の誕生地を訪れた。
中心人物となり、留学希望・開国・破約攘夷の勤皇志士、長州藩の外交担当者、藩庁政務座の最高責任者とし
て活躍する。特に志士時代には、幕府側から常時命を狙われていたにもかかわらず果敢に京都で活動し続け
た。維新後、総裁局顧問専任として迎えられ、当初から「政体書」による「官吏公選」などの諸施策を建言し続け
な実施の必要性について政府内の理解を要求し、他方では新たに国民教育や天皇教育の充実に務め、一層の
だが急進派から守旧派までが絶え間なく権力闘争を繰り広げる明治政府の中にあって、心身を害するほど精神
叱責するほどに政府と西郷双方の行く末を案じながら息を引き取ったという。