京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

角館の秋その1

f:id:sna65954:20201018080729j:plain

f:id:sna65954:20201018081037j:plain

f:id:sna65954:20201018082626j:plain

f:id:sna65954:20201018083121j:plain

f:id:sna65954:20201018083931j:plain

f:id:sna65954:20201018083943j:plain

f:id:sna65954:20201018084105j:plain

f:id:sna65954:20201018084127j:plain

東北新幹線角館駅の近くに宿をとったわたしどもは翌朝武家屋敷通りに向かった。角館は桜で有名であるが、この時期色づき始め桜木の中の武家屋敷通りは朝が早いこともあり人影も少なく、凛とした静かな雰囲気が広がっていた。角館(かくのだて)は、秋田県仙北市の地名、および国の重要伝統的建造物群保存地区の名称。現在も藩政時代の地割が踏襲され、武家屋敷等の建造物が数多く残されており、「みちのくの小京都」とも呼ばれる。角館は戦国時代には戸沢氏の本拠地であった。関ヶ原の合戦後の1602年(慶長7年)、戸沢氏が常陸多賀郡へ転封、佐竹氏が秋田へ入部し久保田藩領となる。翌1603年(慶長8年)、佐竹義宣実弟にあたる蘆名義勝が所預(ところあずかり)として角館に入った。蘆名氏の支配は3代続いたが、1653年(承応2年)の蘆名千鶴丸の死により蘆名氏が断絶。代わって1656年(明暦2年)に佐竹氏の分家である佐竹北家の佐竹義隣が角館に入り、以降明治まで11代続いた。佐竹義隣の実父は京の公家・高倉家の高倉永慶であり、義隣は高倉家からの養子である(母が佐竹家の娘)。また、2代佐竹義明も公家・三条西家一門である西郊家の西郊実号の娘を正室に迎えた事から角館には多くの京文化が移入された。「みちのくの小京都」と呼ばれる所以である。