西周の旧宅から町の中心に戻り、大きく西に傾いた落日の中、まだ明るさの残る町中を散策する。
津和野はまことに静かな城下町である。ここを治めていた津和野藩は戦国時代、大内氏、毛利氏に仕えていた
豪族の吉見氏が支配していた。そのため、関ヶ原の戦いまでは毛利領であった。慶長5年(1600年)10月15日の
功により3万石にて立藩する。直盛は城下町建設、検地、城郭の大改修を行なって藩政の基礎を固めた名君で
加増を受けた。しかし9月11日、千姫事件の余波により、直盛は家臣により殺害され(自害したとも言われる)た
る。以来、亀井氏が明治時代まで藩主をつとめた。江戸中期には紙を専売とし、家老・多胡氏を中心に新田開
発を行うなど、藩の財政は潤った。しかし、後期になると災害と凶作が続き、財政は悪化した。そのような中、第8
代藩主矩賢は藩校・養老館を創立した。最後の第11代藩主茲監は藩政改革を実行し、有能な人材を登用した。
いう。南北3kmにのびる丘陵上にあり、中世には全山が城塞として使用された。現在は津和野城跡として公園と
なっている。津和野の町のなかでも殿町通りあたりは最も古いたたずまいを残している場所である。カトリック教
会、藩校養老館跡、郡庁跡、津和野藩家老多胡家表門など多くの史跡が集中している。武家屋敷の中の建物
に津和野庁舎が入り、津和野教育委員会の表札が掲げられているなど、地方の小藩の城下町としての雰囲気
駅前に津和野町立安野光雅美術館がある。