「史跡と鯉の町」と、町から出ているパンフレットに書かれている。ついでながら津和野は市ではなく、町であ
る。鯉の数のほうが人口より多いという。殿町とよばれる大身の武家屋敷のみぞにも鯉がむれている。町を
貫流する津和野川にも多い。ツグイもいる。たれも獲らないのである。「鯉。そんなもの獲りませんよ」往来で
出あった老婆にわけをきくと、にべもなくそう言った。彼女はむしろこの質問に驚いた様子で、人間というもの
は共有の鯉など獲らないものだ、とごく自然に信じているようであった。あとで町立郷土館で幕末の洋書や器
について論じておられる最中だったから、「鯉?」とまゆをしかめられた。「鯉ですか。あれは津和野藩が獲る
ことを禁じていたのです。禁制が出てもう二百年以上になるかもしれません。森澄さんの気乗り薄な態度から
みても、獲らないということがなんの話題性ももたにないほどにあたのまえのことなのである。津和野人は鯉
だけでなく一般に殺生を好まないが、鯉に対しては特別な愛情をもっているらしい。
津和野の秋の夕暮れは枯葉の路上に落ちる音さえ聞き分けられるほど静かな城下町であった。