京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

東海道横田渡(滋賀県甲賀市水口町)

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かつて湖南を流れる野洲川は、水口のあたりでは横田川と呼ばれていた。「横田の渡し」は、「東海道十三渡し」
 
の一つで、伊勢参宮や東国へ向かう旅人は、この川を渡らねばならず、室町時代の史料 にも『横田河橋』の名
 
が見えている。 江戸時代に入り東海道が整備され、当所は 東海道十三渡しの一つとして重視され、軍事的な
 
意味からも幕府の直轄下に置かれた。そのため他の『渡』と同じく通年の架橋は許されず、地元 泉村 に『渡』の
 
公役を命じ、賃銭を徴収してその維持に当たらせた。これによると三月から九月の間は四艘の船による船渡しと
 
し、十月がら翌二月までの問は、流路の部分に土橋を架けて通行させたようである。野洲川と支流の杣川が合
 
流する当地は、水流も激しく、また流れの中には巨石も顔を見せ、道中の難所に数えられたという。その跡地に
 
今も残るのがこの常夜燈である。文政51822)年、旅人の目印として建てられた石燈籠で、高さは7m以上もあ
 
る立派なもので街道随一の規模をり、水口が東海道の宿場町として栄えた頃の面影を残す史跡の一つであ
 
る。
 
明治24年この場所に長大な板橋が架けられ横田橋と呼ばれた。現在も残されている石垣は当時の橋台の一部
 
であり、最後のモノクロ写真は当時の写真(説明版の写真を転載)その後昭和4年橋は下流に移設され、昭和27
 
年には国道一号線の敷設によって現在の横田橋となった。