京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

観音正寺その1

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観音正寺(かんのんしょうじ)は、宗旨は天台宗系の単立。山号は繖山(きぬがささん)。本尊は千手観音西国
 
三十三箇所第32番札所。琵琶湖の東岸、標高433メートルの繖山(きぬがさやま)の山頂近くに位置する。伝承
 
によれば、推古天皇13年(605年)、聖徳太子がこの地を訪れ、自刻の千手観音を祀ったのに始まるという。聖徳
 
太子はこの地を訪れた際に出会った「人魚」の願いにより一寺を建立したという。その人魚は、前世が漁師であ
 
り、殺生を業としていたために人魚に生まれ変わり苦しんでいたという。寺にはその人魚のミイラと称するものが
 
伝えられていたが、平成5年(1993年)火災で焼失した。
 
観音正寺が位置する繖山には、室町時代以来近江国南半部を支配した佐々木六角氏の居城である観音寺城
 
があり、寺は佐々木六角氏の庇護を得て栄えた。観音寺城永禄11年(1568年)、織田信長の軍勢に攻められ
 
て落城。数年後には佐々木六角氏所縁の観音正寺も焼き討ちに遭い、全焼した。再興されたのは慶長年間(15
 
96年 - 1615年)のことである。観音正寺の本堂は平成5年(1993年)に失火で焼失した。交通の不便な山中にあ
 
る寺院のため、消火活動もままならず、重要文化財に指定されていた本尊千手観音立像も焼失した。現在ある
 
木造入母屋造の本堂は平成16年(2004年)に再建されたものである。観音正寺の本堂は平成5年(1993年)に失
 
火で焼失した。交通の不便な山中にある寺院のため、消火活動もままならず、重要文化財に指定されていた本
 
尊千手観音立像も焼失した。現在ある木造入母屋造の本堂は平成16年(2004年)に再建されたものである。新
 
たに造立された本尊千手観音坐像は旧本尊が1メートル足らずの立像であったのに対し、像高3.56メートル、光
 
背を含めた総高6.3メートルの巨大な坐像である。像はインドから輸入した23トンもの白檀を素材に作られてい
 
る。白檀は輸出禁制品であったが、観音正寺の住職が、20数回インドを訪れ、たび重なる交渉の後、特例措置と
 
して日本への輸出が認められたものであるという。 石段を登りきると左右の巨大な対の仁王像が迎えてくれ
 
る。通常、寺には山門(仁王門)があり、山門をくぐると諸堂伽藍が立ち並ぶが、観音正寺には山門がない。正面
 
に再建された本堂があり、右手山側の斜面には石積みが見られ、一番大きな石の上の観音様が優しい表情を
 
浮かべている。