「歳月」は昭和43年1月から翌年11月まで小説現代に連載されました。佐賀鍋島藩脱藩志士江藤新平が
明治政府で司法卿まで栄達し、近代日本の法体系を確立しましたが、明治6年の征韓論で敗れて下野。薩
長閥の明治政府を激しく非難して佐賀の乱を起こしましたが捕えられて刑死する一人の男の典型を描いた
小説です。
◎わたしと「歳月」
江藤新平は「葉隠れ」で有名な佐賀鍋島藩の下級武士です。明治維新は薩長土肥(薩摩、長州、土佐、肥
前-鍋島)の4藩で成し遂げられましたが、鍋島藩は明治維新の最後の段階で倒幕に参加しました。時の鍋
島藩主鍋島閑叟が保守的で徳川よりであったため倒幕への参加が遅れたのでした。そのため江藤新平が明
治政府に入った頃政府はすでに薩長閥となっていました。そのため江藤新平は薩長に対する反発心が強
く、いずれ鍋島藩が政府の主流になろうとする野心がありました。征韓論で薩摩の西郷隆盛と大久保利通
が対立したとき、薩摩を二分する絶好の機会と捉え、西郷隆盛に組しました。しかし西郷隆盛が敗れ薩摩
に帰りますと江藤新平も鍋島に帰らざるをえなくなったのです。西郷隆盛が敗れたことが大きな誤算とな
りました。自分と同じような体質を江藤新平に感じていた大久保利通は江藤新平を抹殺することで明治政
府の安泰を計るため、江藤新平が反政府運動(佐賀の乱)を起こすとたちまち捕獲し、形だけの裁判の結果
刑死させてしまいました。大久保利通のすさまじさを感じさせる小説であると同時にこの「佐賀の乱」が
以後全国各地で発生する反政府運動(長州の萩の乱、熊本の神風連の乱、薩摩の西南の役等々)に対する政
府の制圧方法の手本になったと司馬さんは書いています。