京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

愛読書9 「梟の城」

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梟の城」は昭和33年4月から翌年2月まで中外日報に連載されました。葛籠重蔵という伊賀の忍者を主人公

にした痛快忍者小説です。篠田正浩監督が同名で映画化しています。司馬さんはこの小説で直木賞を受賞

して流行作家(司馬さんはこの呼び方は好きではなかったのですが)となったのです。

◎わたしと「梟の城

司馬さんはサンケイ新聞の記者出身ですが新聞記者の仕事を天職のように考えていました。記者は綿密に

情報を収集し、分析し、判断して新聞記事にしますが、その苦労は読者には分かりません。他社を出し抜

いて特ダネ記事を書いても社内で表彰されることはあってもその新聞記者の名前は読者には分からないの

です。しかし記者は誰に知られることもなく特ダネを追い続けます。これを新聞記者魂とか文章の職人魂

とでもいうのでしようか。司馬さんはこの仕事と似通った一面を持つ戦国の忍者の存在に興味をひかれた

のでした。

戦国時代も相手の情報をいかに早く掴むかが戦いの勝敗を決しました。敵国の戦力の動員能力、兵器の優

劣、兵士の熟練度、兵站力、指揮官の作戦や指揮能力等を的確迅速に収集する、いわば戦国時代も現代と

同様情報化社会だったのです。しかし現代のような通信手段等がなかった時代ですから、忍者を使って情

報を収集するような方法しかありません。それで群雄割拠の諸国は他国より優秀な忍者を抱えようとしま

した。忍者の優劣が情報収集力の優劣につながり、国の盛衰につながったからです。いっぽう忍者集団も

自分たちの能力を高く売りつけるため能力の向上に努めました。その集団が甲賀忍者とか伊賀忍者とかい

うものです。忍者は誰にも知られず単独あるいは少人数で行動します。敵に見つかり殺されても無縁仏に

なるのがオチです。でも忍者は特殊技能者としての誇りをもって戦国の時代を生き抜きました。このよう

な生き方に司馬さんは新聞記者と同じような共感を覚えたのです。

この小説で司馬さんは戦国の時代が特殊能力を持つプロ集団をなぜ必要としたのか、猿飛佐助や霧隠才蔵

といったそれまでの忍者のイメージを払拭して、新しい忍者像を描きました。そこに後に司馬史観といわ

れる司馬さん独特の歴史観が垣間見えるのです。

この小説は次のような文章で物語りが始まりますが、わたしはこの文章がとても好きなのです。
 
伊賀の天は、西涯(せいがい)を山城国境い笠置の峰が支え、北涯を近江国境いの御斎峠(おとぎとうげ)が

ささえる。笠置に陽が入れば、きまって御斎峠の上に雲が湧いた。         「梟の城」から