「最後の将軍」は昭和41年6,9,12月に別冊文芸春秋に連載されました。徳川15代最後の将軍徳川慶喜の生涯
を描いた物語です。神君家康公の再来といわれ、薩長土肥の、いわゆる倒幕藩から恐れられた英傑といわ
れましたが、いっぽう大政奉還(政権を朝廷に還す)や鳥羽の戦いに幕府軍が薩長に敗れたとき、供回りだ
けを連れて江戸に逃げ帰った行動、その後江戸に攻め上ってきた薩長軍に対し、最後の戦いを挑むことな
く謹慎恭順した態度等から徳川幕府を潰した張本人として、歴史的評価が大きく分かれました。その最後
の将軍、徳川慶喜公を司馬さんは大いなる好意をもって描きました。
◎わたしと徳川慶喜
司馬さんは地上を見下ろす俯瞰のまなざしでもって歴史小説を書いたといいます。つまりある人物が往来
を歩いているのが見えます。その道路の先に目を向けると道路に大きな穴が開いているのが見えます。穴
の存在にその人物は気がついていませんが、歴史ではその人物が穴に落ちることは分かっているのです。
その穴に落ちるまでのその人物を鋭い観察力と描写力で司馬さんの目は高いところから冷静に見つめま
す。ですから穴に落ちることは歴史の本に書いてありますが、その穴に近づきつつある人物の心理や背景
は本には書いてありません。それを豊かな空想力でもって司馬さんは描きました。ですから司馬さんが好
意を持つ歴史上の人物は好意の目で持って書かれ、そうでない人物は小説に書かれることはなかったので
す。また今まで歴史の片隅に押しやられていた人物にスポットをあて歴史の表舞台に立たせました。たと
えば「竜馬がゆく」の坂本竜馬や「峠」の河井継之助、「花神」の村田蔵六(後の大村益次郎)、「歳月」
の江藤新平、その他短編小説など読んだらこんな人物が歴史上いたのかと驚かされ、感心したりします。
このような人物の描き方に司馬さんの歴史観が混ざって、いわゆる司馬史観というものが出来たのです。
ですから司馬さんの歴史小説は大筋では歴史に忠実だけれども(穴に落ちた事実)、フィクションの部分も
多いのです。そのフィクションの部分が読者を惹きつける魅力を持っているのです。上に挙げた坂本竜馬
や河井継之助や村田蔵六、江藤新平は徳川慶喜と同様歴史上大きく評価が分かれています。その人物側に
立つか対敵側に立つかによってその評価が大きく変わるということです。司馬さんは徳川慶喜側に立って
この小説を書きましたから、徳川慶喜は政権を朝廷に返上したから明治維新で流された血は少なくてすん
だとか、謹慎して恭順したから江戸が戦場にならずにすんだとかということになります。そうすると徳川
慶喜はすごい人物ということになります。諸外国が隙あらばと目を光らしていたあの明治維新がもし徳川
慶喜が先頭に立って徳川幕府が徹底抗戦し、全土が焦土となっていたら諸外国の植民地になっていたかも
しれません。そう考えればあらゆる中傷非難を一身に受けて徳川300年の幕引きをした「最後の将軍」は
神君家康をしのぐすごい人物であったと納得がいきます。この本は読む者にそんな気分にさせてくれるの
です。