京都の東山五条に西本願寺の東山本谷御廟がある。東山の懐に優しく抱かれた御廟の中の御影堂裏側一帯
には墓地が広がる。普段は静かなこのあたりも、お彼岸の中日やお盆のときは墓参の人々でにぎわう。
元々西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山で、現在の西本願寺の本堂は七条堀川にあるが、ここ東山大谷が
発祥の地であった。浄土真宗は親鸞上人が開祖で、室町時代第八世蓮如のとき教勢は飛躍的に伸びた。
京都の人々は豊臣秀吉の庇護を受けた西本願寺をお西さんといい、徳川家康の後援で西本願寺から分かれ
た東本願寺をお東さんと親しみを込めて呼ぶ。
その東山大谷の墓地のほぼ中央あたりに、ひときわ大きくそして新しく、しかしシンプルなデザインで、
ややはにかんだように建っている墓石がある。
平成8年2月12日に享年72才で亡くなった作家司馬遼太郎さんの墓である。
司馬さんは昭和20年学徒出陣で招集されていた陸軍戦車部隊から復員し、昭和23年産業経済新聞(現
在の産経新聞)に入社、京都支局に勤務し、宗教と大学を担当した。そのときの縁で西本願寺とも親しく
なり、司馬さん自身が生前希望していたのかどうか知らないが、この墓地にお墓が建てられた。
おそらく司馬さん自身はこのような晴れがましいお墓の建立は望まなかったとおもう。かつて司馬さんが
ある本の中で明治の文豪、森鴎外のお墓(東京三鷹禅林寺)に刻まれた名前が「森鴎外」ではなく本名の
「森林太郎」のみであつたということにいたく感動したと書いていたからである。元来恥ずかしがり屋で
照れ屋であった司馬さんは、この墓をあの世から見ておそらく苦笑いしているにちがいない。
司馬さんが亡くなって早や10年になるが、幕末歴史の表舞台であったこの東山の麓で安らかに眠り、か
ってこの千年の都に生き、死んでいった歴史上の人物を前に司馬さんお得意の座談を展開しているのであ
ろうか。合掌