「風塵抄」は平成61年5月から平成8年2月(司馬さんが亡くなった月)まで「サンケイ新聞」に連載
されました。風塵とは世間のことを指し、小間切れの世間話を意味します。司馬さんの独特の語り口によ
る炉辺談話のような随筆です。
司馬さんが亡くなった月、絶筆となった「風塵抄」の最終稿に以下のような司馬さんの絶叫にも似た文章
が書かれています。
(省略)
坪一億五千万円の地面を買って、食堂をやろうが何をしようが経済的に引きあうはずがないのである。と
りあえず買う。一年も所有すればまた騰がり、売る。
こんなものが、資本主義であろうはずがない。資本主義はモノを作って拡大再生産のために原価より多少
利をつけて売るのが、大原則である。(省略)
こういう予兆があって、やがてバブルの時代がきた。
日本経済は-とくに金融界が-気がくるったように土地投機にむかった。
どの政党も、この奔馬に対して、行く手で大手をひろげてたちはだかろうとしなかった。(省略)
しかし、だれもが、いかがわしさとうしろめたさを感じていたに相違ない。そのうしろめたさとは、未熟
ながらも倫理感といっていい。
日本国の国土は国民が拠って立ってきた地面なのである。その地面を投機の対象にして物狂いするなど
は、経済であるよりも、倫理の課題であるに相違ない。ただ、歯がみするほど口惜しいのは、
「日本国の地面は、精神の上において、公有という感情の上にたったものだ」という倫理書が、書物とし
てこの間、だれによってでも書かれなかったことである。(省略)
住専の問題がおこっている。
日本国にもはや明日がないようなこの事態に、せめて公的資金でそれを始末するのは当然なことである。
その始末の痛みを通じて、土地を無用にさわることがいかに悪であるかを―思想書を持たぬままながら-
国民の一人一人が感じねばならない。でなければ 日本国に明日はない。
産経新聞「風塵抄」一九九六(平成八)二月十二日朝刊掲載
同日午後八時五十分大阪病院で司馬さん逝去