嵯峨落柿舎の秋・・・
名の由来は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちたことによる。芭蕉も3度訪れ滞在をし、『嵯峨日記』を著し
た場所としても知られている。
去来がこの草庵について書いた『落柿舎ノ記』がある。
庵の庭には40本の柿の木があり、日頃去来は人にこの庵の管理を任せていた。ある時(1689年(元禄2年)頃、
去来がちょうど在庵中に、都から柿を扱う老商人が訪ねてきて、庭の柿を一貫文を出して買い求めたので、去来
は売る約束をして代金を受け取った。しかしその夜、嵐が吹き、一晩にして柿がすべて落ちてしまった。翌朝来た
老商人がこの有様に呆然としつつ、代金を返してくれるよう頼み込み、去来はこれを不憫に思って柿の代金を全
額返した。この老商人が帰るにあたって去来は友人あての手紙を託し、その中で自ら「落柿舎の去来」と称した
という。