京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

街道をゆく

東海道関宿その2

京都から江戸に向かう旅人は厄除けで有名な田村神社のある土山宿で一泊し、翌朝早立ちで難所の鈴鹿峠に 向かう。一方江戸から京都に向かう旅人はこの関宿で宿を取り、改めて旅装を整えて明朝鈴鹿峠に向かう。関 宿の通りから臨める鈴鹿山脈は近江の国と伊勢…

東海道関宿その1

関宿は、東海道五十三次の47番目の宿場である。現在は三重県亀山市(もとは関町であったが、2005年1月11 日に亀山市と合併した)。古代からの交通の要衝で、壬申の乱の頃に古代三関[不破関(美濃国)、鈴鹿関(伊 勢国)、愛発関(越前国)]の一つ「伊勢…

東近江 八風街道のあたり

八風街道は中山道と東海道をむすぶ数ある道の一つである。中山道の武佐宿から八日市(現東近江)を経て鈴 鹿山脈を八風峠で越え、東海道の桑名宿と四日市宿のほぼ中間地点に出る。東に向かえば桑名から江戸へ行 き、西は四日市から伊勢神宮に通じる。近江国…

中山道三上山の見える蓮池の風景その2

時折すぐ横の国道8号線を走る自動車の走行音が聞こえてくる以外静かな夏の朝の蓮池の風景・・・

中山道三上山の見える蓮池の風景その1

滋賀県の国道8号線(旧中山道)で野洲川大橋を渡り、三上山を右手に見ながらしばらく走ると浄勝寺前という交 差点がある。右手には村田製作所の野洲事業所の大きな建物が見え、その交差点を過ぎてすぐ右手に小さな 溜池がある。いまその溜池では蓮が満開で…

中山道醒井宿その3

地蔵川は湧き水を源流とする清流。流れはどこまでも澄み、木漏れ陽にきらきらと輝いている。桜やもみじの若 葉は青々と繁り、のどかな街道風景である。

中山道醒井宿その2

醒井宿の中を流れる湖国十景の一つにかかげられる地蔵川、その清流の中に可憐に咲くのが梅花藻だ。梅 花藻はキンポウゲ科の淡水植物で梅の花に似た、白い小さい花を咲かせる。バイカモと呼ばれるこの水草は、 水温14℃前後の清流にしか育たず、全国でも生育…

中山道醒井宿その1

東海道とともに江戸時代の五街道の一つとなった中山道は、この時初めて制定された街道というわけではなく、 その前身を東山道とも呼んで古代から中世にかけて西国と東国を結ぶ重要な街道でもあった。京都三条大橋を 基点として、大津、草津、守山、武佐、愛…

中山道平家終焉の地

義経が元服した 滋賀県竜王町 の中山道「鏡の宿」から、京の方へ少し通り過ぎた 野洲町 大篠原は、平家終 焉の地である。1185年3月24日壇ノ浦合戦で敗れた平家一門はことごとく入水、戦死した。しかし一門のうち建 礼門院、平宗盛父子、清盛の妻の兄平時忠…

中山道守山宿その3

守山西銀座から東へしばらく行くと東門院がある。「守山」の地名は比叡山延暦寺の東の関門として、東門院が 創建されたことに由来する。すなわち、比叡山を守るという意味である。かつて多くの旅人がくぐったであろう仁王 門に掲げられた大きな提灯が印象的…

中山道守山宿その2

在任期間はわずか69日、日本政治史上4番目の短命内閣に終わった総理大臣がいる。故宇野宗佑である。 宇野はここ守山市の出身で造り酒屋「荒長(あらちょう)」の長男として生まれた。宇野家は、江戸時代「年寄」と 言う役職を務め、「長左衛門」と名乗って…

中山道守山宿その1

滋賀県守山市に残る守山宿。中山道67番目の宿場(→中山道六十九次)。江戸時代初期の1642年に「守山宿」 として制札が与えられた。 この「守山」の地名は、比叡山延暦寺の東の関門として、東門院が創建されたことに 由来する。すなわち、比叡山を守るという…

水口岡山城址

水口岡山城は、椀を伏せたような姿を見せる大岡山(だいこうやま)、通称城山(古城山)と称される標 高282mの山一帯に築かれた山城で、別名を水口古城ともいう。 天正13年(1585)、羽柴秀吉が甲賀郡と蒲生郡の一部を支配させるために、家臣の中村一氏に命…

水口城址その2

石垣に架かる桜も風情があるが堀端に咲く紫陽花も美しい。

水口城址その1

水口城は野洲川の中流域にあり、周辺はなだらかな水口丘陵である。北に東海道、南方に水口神社、そして野 洲川が流れる。南部は野洲川の後背部で田が広がっていた。また、甲南部、杣谷を経て伊賀へとぬける間道伊 賀街道が通る。 関ヶ原合戦後、徳川氏の直…

東海道水口宿その2

初夏の昼下がり、1人のお年寄りの歩く姿しか視界に入ってこない宿場町は静まりかえっていた。高札場跡の存 在がかつての宿場町であったことを物語る。町角にたたずんで、朝夕人通りの絶えることのない旅籠が連なる通 り、旅籠の客引きの呼び声、賑わい、ざ…

東海道水口宿その1

滋賀県甲賀市水口町 東海道五十三次の50番目の水口宿がある。旧街道の面影を残す建物が初夏の日差し を浴びていた。街道に向けて正門を構える県立水口高校校庭の生徒たちのざわめきが風に乗ってかすかに聞 こえてくる静かな町のたたずまい。

中山道武佐宿 ムシャリンドウ

近江八幡中山道武佐宿、この時期武佐宿脇本陣跡ではムシャリンドウの鉢植えを展示している。ムシャリンド ウ、武者竜胆とも書く。武者の字は「武佐」に引っ掛けている。シソ科の多年草で日当たりのよい草原に生える。 名は花の姿がリンドウに似ており、蒲生…

東海道横田渡(滋賀県甲賀市水口町)

かつて湖南を流れる野洲川は、水口のあたりでは横田川と呼ばれていた。「横田の渡し」は、「東海道十三渡し」 の一つで、伊勢参宮や東国へ向かう旅人は、この川を渡らねばならず、室町時代の史料 にも『横田河橋』の名 が見えている。 江戸時代に入り東海道…

中山道武佐宿を過ぎて

中山道は京都から大津宿、草津宿、守山宿、そして武佐宿を過ぎて愛知川宿へと続く。山道武佐宿を過ぎて4 キロばかりゆくと左側に老蘇(おいそ)の森という神々しい雰囲気につつまれた森がある。その森の中に鎮座する のが奥石(おいそ)神社である。その神…

中山道武佐宿

この「街道をゆく」の「八風街道をゆく 2012.1.22」でも説明したとおり国道八号線は旧中山道であるが近江八幡 を抜けてしばらく走り、近江鉄道八日市線をまたぐ陸橋を降りたところに友定町の交差点がある。その交差点を 右折すると八日市に続く国道421号線…

街道をゆく(東近江市万葉の森船岡山)

はるか万葉の昔、この船岡山あたりを中心とする蒲生郡は広大な緑の原野が広がり、貴族たちが狩猟をし、薬 草を摘んだ場所であった。当時朝廷があった大津京から天智天皇の一行も蒲生郡へ出かけ歌を詠み、狩猟を 楽しんだという。この游猟の時に額田王と大海…

八風街道をゆく(東近江市阿賀神社)

国道八号線は旧中山道であるが近江八幡を抜けてしばらく走り、近江鉄道八日市線をまたぐ陸橋を降りたところ に友定町の交差点がある。その交差点を右折すると八日市に続く国道421号線に入る。その辺りを武佐といい、 中山道武佐宿のあったところで今でも通…

秋の鯖街道(若狭街道)をゆく 葛川坊村明王院

明王院 天台宗の寺院。開基(創立者)は相応和尚(そうおうかしょう)である。地名を冠して葛川明王院(かつら がわみょうおういん)と称されることが多く、息障明王院(そくしょうみょうおういん)、葛川息障明王院、葛川寺など とも称される(宗教法人とし…

秋の鯖街道(若狭街道)をゆく 葛川坊村明王谷の小さな秋

明王谷でみた美しくて、小さな秋・・・

秋の鯖街道(若狭街道)をゆく 葛川坊村 明王谷を登る

地主神社の左手にある明王院への参道に架かる朱色の三宝橋、その下を流れる川が穿つ谷を明王谷といい、 比良山系の懐に続く。この明王谷に沿った山道は比良山への登山道であり、ここから比良山最高峰の武奈ヶ 岳(標高1214m)まで約3時間の行程である。比良山…

秋の鯖街道(若狭街道)をゆく 葛川坊村町地主神社

更に若狭街道を北上。朽木・葛川自然公園を過ぎてすぐ右手に地主神社への案内板が目に入る。ここら あたりを葛川坊村町という。地主神社の祭神は国常立命(くにとこたちのみこと)、この地の地主神で ある思古淵明神(しこぶちみょうじん)も祀られている。…

秋の鯖街道(若狭街道)をゆく 朽木谷その2

織田信長が近江浅井氏の寝返りを知ったとき、直ちに京への撤退を開始した。北国街道を北からは朝倉軍が攻 寄せ、南からは浅井軍が迫る。このとき京へ戻るには琵琶湖の西岸、敦賀から丹後街道を西に向かい、三方五 湖の側を過ぎて三方を抜けて倉見峠を越えて…

秋の鯖街道(若狭街道)をゆく 朽木谷その1

安曇川 京都市左京区北東部、丹波高地の百井峠(国道477号が通る)近くに発し、ほどなく滋賀県に入る。比 良山地と丹波高地にはさまれた「花折断層」の渓谷を北流。高島市朽木(旧・朽木村)の中心地・市場集落で支 流の麻生川、北川などを合わせ、東へ向か…

秋の鯖街道(若狭街道)をゆく 花折峠

琵琶湖大橋を西から渡り、国道477号線を走り山間に入ってゆくと国道367号線(京都市から福井県三方上中郡 若狭町に至る 一般国道)にぶつかる。左手に見える途中トンネルを抜けると大原を通って京都に向かうが、今日 は朽木に向かわねばならない。だから国道3…