京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

秋の鯖街道(若狭街道)をゆく 葛川坊村明王院

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明王院 天台宗の寺院。開基(創立者)は相応和尚(そうおうかしょう)である。地名を冠して葛川明王院(かつら
 
がわみょうおういん)と称されることが多く、息障明王院(そくしょうみょうおういん)、葛川息障明王院、葛川寺など
 
とも称される(宗教法人としての名称は「明王院」)。大津市北郊の深い山中に位置する天台修験の道場である。
 
開基の相応は回峰行(比叡山の山上山下の霊地を巡礼し、数十キロの道のりをひたすら歩く修行)の創始者
 
されている。現在、本尊の千手観音像と脇侍の毘沙門天像、不動明王像は相応の時代まではさかのぼらず、平
 
安時代・院政期(12世紀)の作とされる。現存する本堂は江戸時代の建築だが、保存修理工事の結果、平安末
 
期に建立された前身堂の部材が一部転用されていることが判明した。境内発掘調査の結果等から、平安末期に
 
は現状に近い寺観が整っていたと推定される。『梁塵秘抄』には葛川への参詣道について歌った今様が収めら
 
れており、平安末期には山林修行地としての葛川が著名だったことがわかる。
 明王院の境内は、北に流れる安曇川から東側に入った支流・明王谷の北岸に位置する。明王谷をはさんで南側
 
には明王院の鎮守で、国常立神と地主神の思古淵神を祀る地主神社がある。神社前の橋を北に渡ると、道の左
 
側には政所(まんどころ)と呼ばれる一画があり、右側には護摩堂、庵室などが建つ。護摩堂脇の石段を上った
 
先、一段高く整地された場所に本堂が建つ。山腹を石垣で整地した境内の様子、各建物の配置などは中世の絵
 
図に描かれたものとあまり変わっていない。本堂等4棟の建物のほか、旧状をよくとどめる土地(明王院境内地、
 
地主神社境内地)も合わせて重要文化財に指定されている。
 
平成の修理(平成17年11月1 日~平成23年3月31日)の際には本堂の再建前(正徳五年建立の現本堂に建て
 
替えられる前)に使われた部材が見つかり、屋根は厚みのある木板を重ねる「とち葺(ぶき)」で組まれていた事
 
が判り本堂はとち葺で復元された。 2011年5月18日に天台宗の半田孝淳座主や回峰行者らが出席して落成法
 
要が行われている。
 
比良山への登山は琵琶湖側のJR湖西線比良駅で下車してバスに乗り、山裾から少し入った出合小屋の右
 
の道をとってしばらく走るとリフトの乗り場に出る。そこからリフトに乗り、中腹でロープウェイに乗り換えて眼下の
 
琵琶湖の風景を楽しむうち、終点の山上駅に到着する。駅からしばらく歩くと比良ロッジの建物が見えてくる。こ
 
のロッジ(といっても中級の上の設備のいいリゾートホテルであった)一泊するもよし、そのまま建物を過ぎて冬場
 
スキー場となるゲレンデを下ってゆくもよし。下りきった場所は八雲ヶ原という湿原で、八雲ヒュッテという山小屋
 
がある。そこから急な登りとなり、上ること二時間で比良山最高峰の武奈ヶ岳に到着。帰路は尾根伝いに下山、
 
中峠から金糞峠に出て、左に道をとればロープウェイの山上駅に出、眼下の切り立った正面谷のガレ場を下り
 
てゆくと出合小屋に出る。このコースが一般的であった。だから簡単に山登りを体験できる山であり、比良ロッジ
 
まではそれこそハイヒールでも行ける山であった。以上小生数十年前の青春の思い出・・・
 
そのリフト、ロープウェイ、比良ロッジ、比良山スキー場、八雲ヒュッテらは平成16年3月で廃止となった。比良山
 
は簡単に登れる山ではなくなったということである。出合小屋まではバスでいけるがそこからは徒歩でしか登るこ
 
とが出来なくなった。だから健脚の登山者でしか登れなくなった。
 
比良山の西側からの登り口はこの明王院のある明王谷から深谷を登って中峠に出るか、明王院の境内を抜け
 
て御殿山を経由する二つのコースがある。小生はこちらからのコースで登ったことはない。武奈ヶ岳まで4時間
 
以上かかる難コースであることは間違いない。だから明王院とその隣の地主神社は比良登山を本格的にやる登
 
山者にとっては比良登山のメッカといっていい。
 
以上明王院を紹介したら筆が弾んでかつての青春の思い出話も書いてしまった。いずれにしても比良山は京阪
 
神に住む山好きにとっては手軽に本格的な登山を楽しめる山として、いまでも人気のある山であるといえよう。