安時代・院政期(12世紀)の作とされる。現存する本堂は江戸時代の建築だが、保存修理工事の結果、平安末
期に建立された前身堂の部材が一部転用されていることが判明した。境内発掘調査の結果等から、平安末期に
は現状に近い寺観が整っていたと推定される。『梁塵秘抄』には葛川への参詣道について歌った今様が収めら
れており、平安末期には山林修行地としての葛川が著名だったことがわかる。
先、一段高く整地された場所に本堂が建つ。山腹を石垣で整地した境内の様子、各建物の配置などは中世の絵
図に描かれたものとあまり変わっていない。本堂等4棟の建物のほか、旧状をよくとどめる土地(明王院境内地、
平成の修理(平成17年11月1 日~平成23年3月31日)の際には本堂の再建前(正徳五年建立の現本堂に建て
替えられる前)に使われた部材が見つかり、屋根は厚みのある木板を重ねる「とち葺(ぶき)」で組まれていた事
が判り本堂はとち葺で復元された。 2011年5月18日に天台宗の半田孝淳座主や回峰行者らが出席して落成法
要が行われている。
の道をとってしばらく走るとリフトの乗り場に出る。そこからリフトに乗り、中腹でロープウェイに乗り換えて眼下の
琵琶湖の風景を楽しむうち、終点の山上駅に到着する。駅からしばらく歩くと比良ロッジの建物が見えてくる。こ
のロッジ(といっても中級の上の設備のいいリゾートホテルであった)一泊するもよし、そのまま建物を過ぎて冬場
スキー場となるゲレンデを下ってゆくもよし。下りきった場所は八雲ヶ原という湿原で、八雲ヒュッテという山小屋
がある。そこから急な登りとなり、上ること二時間で比良山最高峰の武奈ヶ岳に到着。帰路は尾根伝いに下山、
中峠から金糞峠に出て、左に道をとればロープウェイの山上駅に出、眼下の切り立った正面谷のガレ場を下り
てゆくと出合小屋に出る。このコースが一般的であった。だから簡単に山登りを体験できる山であり、比良ロッジ
まではそれこそハイヒールでも行ける山であった。以上小生数十年前の青春の思い出・・・
そのリフト、ロープウェイ、比良ロッジ、比良山スキー場、八雲ヒュッテらは平成16年3月で廃止となった。比良山
は簡単に登れる山ではなくなったということである。出合小屋まではバスでいけるがそこからは徒歩でしか登るこ
とが出来なくなった。だから健脚の登山者でしか登れなくなった。
て御殿山を経由する二つのコースがある。小生はこちらからのコースで登ったことはない。武奈ヶ岳まで4時間
山者にとっては比良登山のメッカといっていい。
以上明王院を紹介したら筆が弾んでかつての青春の思い出話も書いてしまった。いずれにしても比良山は京阪
神に住む山好きにとっては手軽に本格的な登山を楽しめる山として、いまでも人気のある山であるといえよう。