守山西銀座から東へしばらく行くと東門院がある。「守山」の地名は
比叡山延暦寺の東の関門として、東門院が
創建されたことに由来する。すなわち、比叡山を守るという意味である。かつて多くの旅人がくぐったであろう仁王
門に掲げられた大きな提灯が印象的である。仁王門は室町時代に建立されたもので、当院で最も古い建物であ
る。坂上田村麻呂が、戦勝祈願をして、勝利をおさめたことにより門出仁王とも呼ばれている。当山は、比叡山
寺)を建立した時、四境にそれぞれ門を構えることにしましたが、その一つとして比叡山の東門として設けられた
のが始まりであるという。その後延暦13年9月3日に、比叡山の根本中堂開闢(かいびゃく)供養が行われ、湖上
に舟橋を渡し、東門まで「善の綱(白布の綱)」を引渡して桓武天皇が、湖上をお渡りになってこられた。このとき、
桓武天皇により比叡山東門院守山寺(比叡山を守る寺)と名号され、地名も守山と賜ったと伝えられている。また
当院は、琵琶湖を一周する近江西国三十三ヶ所観音巡りの第二番札所・湖国十一面観音霊場第五番札所・近
江湖南二十七名刹霊場第二十三番札所としても指定され、多くの熱心な信者のお祈りの場ともなっている。江
戸時代には、当院が朝鮮通信使特使の宿にもなり、その当時に掲げられていた中山道守山宿奉行高札場の高
札も残されており、全国でも数少ない珍しい当時の実物に出会うことが出来る。
目をつぶるとかつての宿場町の殷賑さがまぶたに浮かんでくるようである。そんな歴史を秘めながら東門院は静
かにたたずんでいた。同じ中山道沿いにある天満宮も晩夏の日差しの午後、静寂な雰囲気を漂わせていた。