京・近江の写真 春夏秋冬

京、近江四季折々の自然の風景とそこに住む人々、祭り、伝統芸能の写真

三井寺春燦々その1

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山科の毘沙門堂を後にして滋賀県に戻り、三井寺に向かった。三井寺は桜の名所としてあまりにも有名である。三井寺へ行く途中京阪電鉄石山坂本線の踏切で信号待ちの時に琵琶湖疎水の桜並木を写真にパチリ。ウイ-クデ-にも拘らず琵琶湖疎水から三井寺近辺までは大渋滞であり、三井寺の駐車場にうまく入れるかどうか心配しながら三井寺に向かった。幸いそんなに待たされないで無事駐車。

園城寺(三井寺)は、滋賀県大津市園城寺町にある天台寺門宗の総本山の寺院。山号は長等山(ながらさん)という。本尊は弥勒菩薩である。開基(創立者)は大友与多王。日本三不動の一つである黄不動で著名であり、観音堂西国三十三所観音霊場の第14番札所で札所本尊は如意輪観世音菩薩である。また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られる。なお一般には三井寺として知られる。平安時代などの日本古典文学で、何も注釈を付けず「寺」と書かれていれば、この園城寺を指す(当時の古典文学では延暦寺もしばしば取り上げられているが、こちらは「山」(比叡山)と呼ばれている)。2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定された。園城寺平安時代以降、皇室、貴族、武家などの幅広い信仰を集めて栄えたが、10世紀頃から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒によって園城寺が焼き討ちされることが史上度々あった(園城寺平安時代から戦国時代までで合戦・焼き討ち・火災などで23回も炎上しているが、うち14回は延暦寺による焼き討ちであった)近世には豊臣秀吉によって寺領を没収されて廃寺同然となったこともあるが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから、園城寺は「不死鳥の寺」と称されている。

大門(重要文化財、仁王門とも呼ばれる。三間一戸、入母屋造、檜皮葺の楼門、宝徳四年(1452)建立、浄域への表門として慶長六年(1601)、徳川家康により甲賀常楽寺より移築、寄進された)をくぐり参道をゆくと、石段の上に国宝の金堂の甍が見えてくる。